俺と同じように半身を魂獣とともに生きていても、既存の魂獣と人間を融合させているのと、人の身も魂獣の身も新しく生み出された俺とでは、やはり少し事情が違うらしい。
里を訪れた使者(なんて曖昧な言い方をされたが、外海にある火群の里を訪れることが出来る奴なんてそうそう居ない)から届いたという書簡を畳みなおす。中の筆跡は、数十年前とそんなに変わってはいなかった。
人の体が少しずつ死んでいく度に、魂獣の体が補って再生させてきた俺は、そうやって少しずつ老いから遠のいていって、結局今では殆ど人ではなくなってしまったが、麗雅は違ったらしい。
たぶんそれで良かったんだろう。書簡を受け取った者によれば、使者はご子息に看取られて亡くなった、と言ったらしい。ならそれで良かったんだろう。それが良かったんだろう。
書簡に記された日時は今日の夕刻。
こんな体だ、人の世から離れて随分経つけれど。
「……行くか、イヅナ」
傍らに置いた喪服の上着を掴んで、俺は部屋を出る。
里を訪れた使者(なんて曖昧な言い方をされたが、外海にある火群の里を訪れることが出来る奴なんてそうそう居ない)から届いたという書簡を畳みなおす。中の筆跡は、数十年前とそんなに変わってはいなかった。
人の体が少しずつ死んでいく度に、魂獣の体が補って再生させてきた俺は、そうやって少しずつ老いから遠のいていって、結局今では殆ど人ではなくなってしまったが、麗雅は違ったらしい。
たぶんそれで良かったんだろう。書簡を受け取った者によれば、使者はご子息に看取られて亡くなった、と言ったらしい。ならそれで良かったんだろう。それが良かったんだろう。
書簡に記された日時は今日の夕刻。
こんな体だ、人の世から離れて随分経つけれど。
「……行くか、イヅナ」
傍らに置いた喪服の上着を掴んで、俺は部屋を出る。
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( 2011/11/06)
滑らかな皮の表面に酷く不釣り合いなものを認めて、ケンは僅かに眉を顰めた。
カナト自らが生徒会の天敵である天ヶ原に非公式の遺跡調査を依頼し、各々が負傷して帰ったその日の夜のことだ。
カナト(と天ヶ原の連中)が帰還してからあった諸々のことは置いておく――実は今もカナトは父であり鳳凰学園理事長である麗雅に、事の起こりと顛末と責任の所在と処置に対する申し開きをしに行っている所なのだが――置いておくとして、ケンの鳳凰院家における役職は執事である。
『ご主人様は現実の厳しさを知ることなく、人生の美しい面だけを見ていられるように』――そんな風に言った執事も居たらしいが、ケン自身は己がそこまで出来るとは思っていない。何しろカナトの視野は広く、それら全てをケンの手で見栄え良く整えることは、とてもではないが出来ない。ならばせめてケンの手の及ぶ範囲は整えておくべきだろう。
いつも通り、靴の埃を払おうとブーツを手にとって、そこでケンは眉を顰めた。
翼を模した紋様が縁取る焦げ茶色のブーツは、今日非公式の地下遺跡の調査に同行したカナトが履いていた物だ。いささか無骨な学園指定の靴とは異なり、優雅さを漂わせるそのブーツの、しかし足首の辺りには切り裂いたような傷が無造作に刻まれている。
その意味するところに一瞬動揺し、けれど脳裏に浮かべた先ほどのカナトの姿と、検分した傷の縁に血糊の類が付着していないことを確認して、思わず安堵の息を吐いた。
怪我をしたわけではないらしい。あるいは出血がほぼ無い程度の掠り傷か。平然と歩いていたところを見ると、捻挫の類の心配も無さそうだった。ならばこれは本当に表面を抉っただけで済んだ傷なのだろう。
良かった。本当に。
思いながらも、無意識のうちにケンの表情は渋くなる。
デザインや機動性に重点を置いているとはいえ、遺跡調査にカナトが履いていくくらいだ。それなりの防御力はある代物である。それがぱっくりと切り裂かれ、鋭利な皮の断面を晒している。
黄金竜なるその化け物の、爪にやられたのか角にやられたのか、或いは別の何かなのかは知らないが、もしこの一撃が掠めたのがこんな場所ではなく、例えば柔い布で覆われただけの腹や、半ば晒された喉頚だったら。
ぞっと立ち竦み、振り切るように緩く首を振る。考えたくもない話だ。だが考えなければいけない話だ。
難しい顔のまま、ケンはそっと溜息をついた。
本当に、こんな危険な場所に赴くようなことはしないで欲しい。今回はさほど危険ではないとの判断だったのだろうが、結果的にそれは誤りだったのだから、今後はもっと自重して欲しい。叶うことならば自分が同行して少しでもカナトが危険にさらされる機会を減らしたいのだが、カナトはこういうイレギュラーな行動をするときには、生徒会のメンバーを同行させてはくれない。
なのに。
――今回僕らが生きて帰って来れたのは、カイ君の活躍のおかげだよ。
嘘偽りなく信頼の置かれた台詞。
カイ。今日遺跡調査に向かった天ヶ原、その末席に名を連ねる少年。
生徒会と対立する組織にありながら、カナトの信頼を勝ち得、またその危機を救った存在。
「火群、カイ……」
ぽつりと呟いた名前には、言いしれない羨望と、嫉妬が宿った。
カナト自らが生徒会の天敵である天ヶ原に非公式の遺跡調査を依頼し、各々が負傷して帰ったその日の夜のことだ。
カナト(と天ヶ原の連中)が帰還してからあった諸々のことは置いておく――実は今もカナトは父であり鳳凰学園理事長である麗雅に、事の起こりと顛末と責任の所在と処置に対する申し開きをしに行っている所なのだが――置いておくとして、ケンの鳳凰院家における役職は執事である。
『ご主人様は現実の厳しさを知ることなく、人生の美しい面だけを見ていられるように』――そんな風に言った執事も居たらしいが、ケン自身は己がそこまで出来るとは思っていない。何しろカナトの視野は広く、それら全てをケンの手で見栄え良く整えることは、とてもではないが出来ない。ならばせめてケンの手の及ぶ範囲は整えておくべきだろう。
いつも通り、靴の埃を払おうとブーツを手にとって、そこでケンは眉を顰めた。
翼を模した紋様が縁取る焦げ茶色のブーツは、今日非公式の地下遺跡の調査に同行したカナトが履いていた物だ。いささか無骨な学園指定の靴とは異なり、優雅さを漂わせるそのブーツの、しかし足首の辺りには切り裂いたような傷が無造作に刻まれている。
その意味するところに一瞬動揺し、けれど脳裏に浮かべた先ほどのカナトの姿と、検分した傷の縁に血糊の類が付着していないことを確認して、思わず安堵の息を吐いた。
怪我をしたわけではないらしい。あるいは出血がほぼ無い程度の掠り傷か。平然と歩いていたところを見ると、捻挫の類の心配も無さそうだった。ならばこれは本当に表面を抉っただけで済んだ傷なのだろう。
良かった。本当に。
思いながらも、無意識のうちにケンの表情は渋くなる。
デザインや機動性に重点を置いているとはいえ、遺跡調査にカナトが履いていくくらいだ。それなりの防御力はある代物である。それがぱっくりと切り裂かれ、鋭利な皮の断面を晒している。
黄金竜なるその化け物の、爪にやられたのか角にやられたのか、或いは別の何かなのかは知らないが、もしこの一撃が掠めたのがこんな場所ではなく、例えば柔い布で覆われただけの腹や、半ば晒された喉頚だったら。
ぞっと立ち竦み、振り切るように緩く首を振る。考えたくもない話だ。だが考えなければいけない話だ。
難しい顔のまま、ケンはそっと溜息をついた。
本当に、こんな危険な場所に赴くようなことはしないで欲しい。今回はさほど危険ではないとの判断だったのだろうが、結果的にそれは誤りだったのだから、今後はもっと自重して欲しい。叶うことならば自分が同行して少しでもカナトが危険にさらされる機会を減らしたいのだが、カナトはこういうイレギュラーな行動をするときには、生徒会のメンバーを同行させてはくれない。
なのに。
――今回僕らが生きて帰って来れたのは、カイ君の活躍のおかげだよ。
嘘偽りなく信頼の置かれた台詞。
カイ。今日遺跡調査に向かった天ヶ原、その末席に名を連ねる少年。
生徒会と対立する組織にありながら、カナトの信頼を勝ち得、またその危機を救った存在。
「火群、カイ……」
ぽつりと呟いた名前には、言いしれない羨望と、嫉妬が宿った。
「……何か用」
――尾けられていることは解っていた。だからわざわざ、こんな人気のない場所までやってきたのだ。何かあったときに、人が居てはカイにとって都合が悪いというのもあったが、それは向こうも同じだろう。場所を選んでやったのだから、感謝してもらいたいくらいだ。
「――カナト様に近付くな」
振り向いたカイの視線の先、気配だけはカイですら舌を巻くほど希薄に、けれど視線に込められた敵意――それこそ神話の怪物のように、目を合わせただけで呪い殺されそうな――は隠しもせず、カイを追ってきていた相手。
ケンは神具を持ったまま、ただそこに佇んでいる。しかし、今もカイの金色のそれとは違い、ケンの翳りを帯びた鬱金色の瞳には、冷たく鋭い色が宿っていた。
彼の纏う気配を感じながら、カイは考える。
尾行?とんでもない。はなから殺気を隠すつもりもなかったのだろう。これは宣戦布告だ。
「お前に言われる筋合いねーんだけど」
「お前は危険だ」
「へぇ?」
「副会長の言うとおり、お前は放し飼いの虎のようなものだ。カナト様に近づけるわけにはいかない」
紡がれた台詞に、カイは口端を吊り上げる。
「は。そりゃ、不安にもなるかもな。なんたって、その虎がどれだけ危険か、お前は身をもって知ってるんだから」
――尾けられていることは解っていた。だからわざわざ、こんな人気のない場所までやってきたのだ。何かあったときに、人が居てはカイにとって都合が悪いというのもあったが、それは向こうも同じだろう。場所を選んでやったのだから、感謝してもらいたいくらいだ。
「――カナト様に近付くな」
振り向いたカイの視線の先、気配だけはカイですら舌を巻くほど希薄に、けれど視線に込められた敵意――それこそ神話の怪物のように、目を合わせただけで呪い殺されそうな――は隠しもせず、カイを追ってきていた相手。
ケンは神具を持ったまま、ただそこに佇んでいる。しかし、今もカイの金色のそれとは違い、ケンの翳りを帯びた鬱金色の瞳には、冷たく鋭い色が宿っていた。
彼の纏う気配を感じながら、カイは考える。
尾行?とんでもない。はなから殺気を隠すつもりもなかったのだろう。これは宣戦布告だ。
「お前に言われる筋合いねーんだけど」
「お前は危険だ」
「へぇ?」
「副会長の言うとおり、お前は放し飼いの虎のようなものだ。カナト様に近づけるわけにはいかない」
紡がれた台詞に、カイは口端を吊り上げる。
「は。そりゃ、不安にもなるかもな。なんたって、その虎がどれだけ危険か、お前は身をもって知ってるんだから」
( 2010/07/03)
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