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2024/09/23

 かの西北に栄えた国の興りは、馬術に長けた一つの民族であった。
 鮮やかな操馬のみならず、彼等の育てた馬は例外なく頑健であり、一日に数百里を駆けたと言われる。
 疾風の如く駆け、雷の如く矢を射た彼等はやがて周辺民族を率い、一つの国を興す。そうして初めてひとところに留まる生活をはじめた彼等を悩ませたのが、侵略者であった。
 そもそもが遊牧民であった彼等は、新たな土地を奪うことには長けたが、守ることに対してはいかにも脆弱である。彼等が土地を守りきり、生き延びることが出来たのは、当時乱立していた周辺諸国家の興亡に戦を求めて集まった傭兵を雇い入れることが出来たからであろう。
 砦に於ける戦を知る彼等の活躍はめざましく、かの国には珍しくも、そのようにして名を上げた異国人の逸話が散在する。
 何故かの国は、各国を放浪する彼等流浪の兵を繋ぎ止める事が出来たのか?
 かの国の軍資金を賄ったのは、興国後数年のうちに幸運にして手に入れた、東部の山岳地帯に眠る鉱床であった。
 今となっては伝説が残るばかりだが、鉱物、特に貴石の類を多く算出した鉱脈は、現在でも神の富の根の名で呼ばれる。
 今となっては見ることも少ない稀少な宝石の一部も、かの鉱脈から掘り出されたという噂であるが、真偽の程は解らない。何故なら、その鉱脈の主たる遊牧民の裔達は、決して鉱脈の場所を明らかにはしなかったからだ。知ろうと後をつけた商人が一人も戻らなかった、旅路の途中に迷った若者が穴蔵の奥に下りる男達を見てしまい命からがら逃げてきた、そんな御伽噺は、形を変えて各地に伝わっている。
 ともかく、その後も多くの国家の危機に際し、強力な財源となりその苦難を救った鉱脈に感謝と加護を願う意で、かの国では、祝い事には貴石を送る習慣が生まれた。
 特に誕生と同時に装身具に仕立てた貴石を「生まれ石」として贈る風習は当時でも一般的だったらしく、現在でも様々なグレードのものがアンティークとして出回っている。
 庶民層では貴石は親から子へと引き継がれることが大半だったが、当時の王朝は王子・王女毎に貴石を贈った。その大部分は彼等が生涯を終えると共に回収され、廟に祀られたという。故に彼等のみを飾ったとされる生まれ石を見ることは難しい。特に彼等のうち、大罪を犯した者、国を追われた者に関しては、その執行前に、王族の証したる石を砕かれた、或いはひびを入れられたとされる。かの国ではかように本人と生まれ石の関連性を重んじたらしく、罪あるとされた者の生まれ石を槌で叩き、罅が入れば有罪、入らなければ無罪としたという記述も残っている。
 それが故に無傷の石が国外に流出することは稀で、大抵の場合は傷が入るか、装飾部の欠損が認められる場合が多いのだが、ここに展示してある一対の耳飾りは、滅んだかの国の王家の紋章があしらわれた品の中でも、石にも装飾にも殆ど傷が見られず、特に保存状態がよいものである。

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2010/12/12
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