――四ッ谷のドラゴンは、音を操るの。
――私達には聞こえない音を使って、遺体の神経に働きかけるんだって。
ねえミコちゃん。それでもあたし、見たよ。
何もないところに立ってる人も、向こう側が透けてる人も、青い火が燃えてるのだって見た。あたしは詳しいことはわかんないけど、そういうのって、音じゃ説明できないよ。
渋谷も、四ッ谷も、国分寺も、あんな風になっちゃったのって、誰かちゃんと説明できるの? ねえミコちゃん、ごめんね、あたし、見えない不思議なものって、あると思うよ。
守屋さんがベッドに入ったのを確認して、あたしはそうっと起き上がる。ミコちゃんのベッドから寝息が聞こえてるのに安心して、部屋を抜け出した。真夜中の廊下は流石に誰も居ない。明かりも消えて、窓の外も暗くて、いつもだったら少し怖かったかも知れないけど、今日は平気。
こんな時間だからきっと誰も起きてないけど、見つかっちゃいけないから、出来るだけ速く、静かに、まんがの忍者みたいに廊下を駆け抜けた。身体は軽い。足音だってほとんど立たない。ちゃぽちゃぽとベルトにぶら下げたペットボトルのポカリスエットが鳴った。
フロワロの咲く場所は、いつの間にか人の場所じゃなくなってた。
今でも逆サ都庁を見たときの気持ちを覚えてる。あんなの、人の業じゃない。この世界の業じゃない。
どこもかしこもフロワロだらけで怖かった。そのうちあちこち全部、私達の住めない場所になるんじゃないかって怖かった。
でもね、気付いたんだ。
ドラゴンは異界を作る。
四ッ谷のドラゴンは死体を操ったけど、あそこにあったのは、それだけじゃなかった。
幽霊が居る、とは言わないよ。居ても多分、この世界には居ないと思う。あたしのお母さんはもうこの世界には居ない。お母さんは向こうの世界にいて、そこで笑ってくれてたらいいなと思う。会えたらいいなと思うけど、そのためにはこの世界から離れなきゃならなくて、あたしはもっとちゃんと生きてからじゃないと、お母さんに会っちゃいけないんだと思う。
でも、もし。
もし、この世界と向こうの世界が繋がったら。
夢みたいな話だってわかってる。
でも、その夢みたいな話、今起きてるんだよ。
四ッ谷で何が起こってたのかはよく解らない。でもあそこには、向こうの世界の人が居た。
ぱたぱたと階段を下りる。エレベーターは誰かが入ってきたときに隠れる場所がないからダメ。
一段下りる度にウェストポーチが跳ねて、あたしの気分もぴょこぴょこ跳ねる。
エントランスの明かりも落ちてて、フロントにも誰も居ない。もしかしたら散歩してる人が居るかも知れないから、耳を澄ましたけど、特に足音はしなかった。
潜入スパイみたいに壁伝いにそろそろ進んで、もうドアは目の前。硝子張りのドアの向こうを見据えて、最後に誰にも見つかってないかどうか確かめようと辺りを見回して――あたしは飛び上がった。
エントランス前のベンチにちょこんと腰掛けた薄緑色のコート。飛び上がったときに音でもしたのか、ゆるりと上げられた視線と目があう。あってしまった。見つかった。
どうしよう。どうしよう。
きっと、外に出るなんて許してもらえない。でも、でも……
困って悩んで、立ち竦んでいる間も、ベンチに座った人は不思議そうに身体を傾がせたまま黙ってこっちを見ている。
その様子には最初予想した不審そうな様子も、見張りでもしているような様子もなくて、何となく、咎められることはないような気がした。
きょろきょろ辺りを見回したけど、周りには誰も居ない。
ちょっとどきどきしたけれど、あたしは意を決してその人に近付く。
白っぽい髪にちょっとだけ入った赤いメッシュの目立つ人だった。女の人かな、男の人かな。どっちだかよくわからない。
こんな時間にこんな所にいるのに、全然怒られる気配が無くて、あたしは安心して、人差し指を唇の前に立てた。細かい言い訳をするよりも、シンプルな方がいい。
「内緒ね!」
囁くように、それでもしっかり言うと、その人はゆっくり瞬いてから、同じように口の前に人差し指を立てる。黙っていてくれるみたい。話のわかる人で良かった。
嬉しくなってちょっと笑って、ありがとう、と囁いた。あんまり大きな声は出せないから、小さい声で。
弾みそうになる足を宥めて、静かにエントランスのドアに近付く。あたしのことを関知したセンサが、すうっとガラスのドアを開けてくれた。目の前には夜の闇が広がるけれど、こんな物は今のワクワクした気分にはぜんぜん叶わない。手に入れた地図を広げる。かさりと音を立てたそれにつけられた赤い印と線をよく確認して、あたしは振り返る。
「――行ってきます!」
――私達には聞こえない音を使って、遺体の神経に働きかけるんだって。
ねえミコちゃん。それでもあたし、見たよ。
何もないところに立ってる人も、向こう側が透けてる人も、青い火が燃えてるのだって見た。あたしは詳しいことはわかんないけど、そういうのって、音じゃ説明できないよ。
渋谷も、四ッ谷も、国分寺も、あんな風になっちゃったのって、誰かちゃんと説明できるの? ねえミコちゃん、ごめんね、あたし、見えない不思議なものって、あると思うよ。
守屋さんがベッドに入ったのを確認して、あたしはそうっと起き上がる。ミコちゃんのベッドから寝息が聞こえてるのに安心して、部屋を抜け出した。真夜中の廊下は流石に誰も居ない。明かりも消えて、窓の外も暗くて、いつもだったら少し怖かったかも知れないけど、今日は平気。
こんな時間だからきっと誰も起きてないけど、見つかっちゃいけないから、出来るだけ速く、静かに、まんがの忍者みたいに廊下を駆け抜けた。身体は軽い。足音だってほとんど立たない。ちゃぽちゃぽとベルトにぶら下げたペットボトルのポカリスエットが鳴った。
フロワロの咲く場所は、いつの間にか人の場所じゃなくなってた。
今でも逆サ都庁を見たときの気持ちを覚えてる。あんなの、人の業じゃない。この世界の業じゃない。
どこもかしこもフロワロだらけで怖かった。そのうちあちこち全部、私達の住めない場所になるんじゃないかって怖かった。
でもね、気付いたんだ。
ドラゴンは異界を作る。
四ッ谷のドラゴンは死体を操ったけど、あそこにあったのは、それだけじゃなかった。
幽霊が居る、とは言わないよ。居ても多分、この世界には居ないと思う。あたしのお母さんはもうこの世界には居ない。お母さんは向こうの世界にいて、そこで笑ってくれてたらいいなと思う。会えたらいいなと思うけど、そのためにはこの世界から離れなきゃならなくて、あたしはもっとちゃんと生きてからじゃないと、お母さんに会っちゃいけないんだと思う。
でも、もし。
もし、この世界と向こうの世界が繋がったら。
夢みたいな話だってわかってる。
でも、その夢みたいな話、今起きてるんだよ。
四ッ谷で何が起こってたのかはよく解らない。でもあそこには、向こうの世界の人が居た。
ぱたぱたと階段を下りる。エレベーターは誰かが入ってきたときに隠れる場所がないからダメ。
一段下りる度にウェストポーチが跳ねて、あたしの気分もぴょこぴょこ跳ねる。
エントランスの明かりも落ちてて、フロントにも誰も居ない。もしかしたら散歩してる人が居るかも知れないから、耳を澄ましたけど、特に足音はしなかった。
潜入スパイみたいに壁伝いにそろそろ進んで、もうドアは目の前。硝子張りのドアの向こうを見据えて、最後に誰にも見つかってないかどうか確かめようと辺りを見回して――あたしは飛び上がった。
エントランス前のベンチにちょこんと腰掛けた薄緑色のコート。飛び上がったときに音でもしたのか、ゆるりと上げられた視線と目があう。あってしまった。見つかった。
どうしよう。どうしよう。
きっと、外に出るなんて許してもらえない。でも、でも……
困って悩んで、立ち竦んでいる間も、ベンチに座った人は不思議そうに身体を傾がせたまま黙ってこっちを見ている。
その様子には最初予想した不審そうな様子も、見張りでもしているような様子もなくて、何となく、咎められることはないような気がした。
きょろきょろ辺りを見回したけど、周りには誰も居ない。
ちょっとどきどきしたけれど、あたしは意を決してその人に近付く。
白っぽい髪にちょっとだけ入った赤いメッシュの目立つ人だった。女の人かな、男の人かな。どっちだかよくわからない。
こんな時間にこんな所にいるのに、全然怒られる気配が無くて、あたしは安心して、人差し指を唇の前に立てた。細かい言い訳をするよりも、シンプルな方がいい。
「内緒ね!」
囁くように、それでもしっかり言うと、その人はゆっくり瞬いてから、同じように口の前に人差し指を立てる。黙っていてくれるみたい。話のわかる人で良かった。
嬉しくなってちょっと笑って、ありがとう、と囁いた。あんまり大きな声は出せないから、小さい声で。
弾みそうになる足を宥めて、静かにエントランスのドアに近付く。あたしのことを関知したセンサが、すうっとガラスのドアを開けてくれた。目の前には夜の闇が広がるけれど、こんな物は今のワクワクした気分にはぜんぜん叶わない。手に入れた地図を広げる。かさりと音を立てたそれにつけられた赤い印と線をよく確認して、あたしは振り返る。
「――行ってきます!」
市房ちゃん。
C5突入前夜。消えた人達がぞろぞろ出て行く直前のタイミング。
追記:最後の方、ちょっとだけ余所の子をお借りしました。真倉さん宅のギニョルさん。ギニョルさんが人差し指たてて内緒のポーズしてくれるって親御さんが仰ったので、この場面書くなら、書かせていただかないわけにはいかなかった……
市房の行き先は東京タワー。
C5突入前夜。消えた人達がぞろぞろ出て行く直前のタイミング。
追記:最後の方、ちょっとだけ余所の子をお借りしました。真倉さん宅のギニョルさん。ギニョルさんが人差し指たてて内緒のポーズしてくれるって親御さんが仰ったので、この場面書くなら、書かせていただかないわけにはいかなかった……
市房の行き先は東京タワー。
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( 2012/02/04)
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