緩い空調の風が剥き出しになった素肌を撫でていって、ケンは我知らず身を竦めた。
ケンは袖の短い服を好まない。それは学園の制服が丈と袖が長いものであること、また執事としての仕事にはそれ相応の体裁が求められる事もあったが、なにより彼が因使であることに起因していた。ケンの神具は剣である。水滸剣ヒルコの――液体と冷気を操るケンの因使としての力は、たとえ相手と距離を取っても十分に通用するレベルではあったが、やはり得物による実際の一撃には及ばない。そして、相手と距離を詰めて戦えば、当然自分もそれ相応の傷を負う可能性があった。執事のプライドとしても――そして主の体面を汚さぬ為にも、そのような失態を晒すことは許されない。故にケンは傷を負いにくく、または負っても隠しやすい、手首までを隠すような服を好む。
だから、こんな自室以外の場所で肌を晒しているというのは――あまつさえそれを他人に見られているというのは、酷く落ち着かない。たとえそれが、ケンの主たる鳳凰院神那人であっても。
翠色の視線が肩と、そこから僅かに下がった二の腕あたりをゆるりと撫でてゆく。そこには最前から痛みを訴える傷口があった。
朱雀の因使による灼熱の刀身による斬撃は、とっさに冷気を集めて受けたため火傷には至らなかったが、刃自体を躱しきることはできなかった。
視線の理由がわかっていても、やはり居心地悪く、ケンは気まずげに視線を落とす。二の腕の上部にぱかりと口を開けた傷は肉の色を晒し、暗い色の血が未だに細く糸のように筋を作って、肘へと流れていた。寝台に座らされてからの時間の分だけ、傍らに落とした常盤緑の制服――この色は彼が玄武の属性を持つ神具を所有していることを示す――の上に、ぽたりぽたりと赤い滴が溜まっている。
「怪我はそこだけ?」
落ち着いた声が傍らに立つ。手袋に包まれた手が伸びてくるのを見て、とっさにケンは身を引いた。
「! いけませんカナト様、」
急な動きに伴って傷口が酷く痛んだが、自分の苦痛は今更気にすることでもない。
「汚れてしまいます」
服が吸った血はべったりと残って、傷口周りの肌は乾きかけた血でまだらになっている。カナトの白い手袋には、さぞやはっきりと残るだろう。
「構わないよ」
カナトは苦笑を交えて言うが、構わないわけがない。そんなことが――己の血がカナトの服を汚すなど、あってはならない。
「ですが、」
「じっとして」
しかし、言い募る声は有無を言わさぬカナトの言葉に遮られる。決して強い語調ではないものの、はっきりと静止を命じられて、ケンはその場で動けなくなってしまう。――それは決してカナトの因使としての力の発露ではないし、また鳳凰院家の次期当主としての圧力を伴った命令でもない。カナトはただ、たわいもない朝の挨拶と同じような軽さで、希望を口にしただけだ。けれどその言葉はいつだってケンの心を絡めとる。
動きを止めたケンを、その肩を、白い手袋の手が掴んだ。瞬間走った痛みに、ケンは制止を忘れて息を詰める。
「ごめん、痛かった?」
いいえ、と反射的に答えて、ケンは意識して深く息を吐く。勝手に強張る体から、力を抜こうとする――が、肩口に触れた感触が僅かに肌を撫でただけで、その努力はすぐ水泡に帰してしまう。
「……っ」
しかしそれは、痛みゆえではなかった。
彼の手が――触れることすら畏れ多いカナトの手が、血で汚れたケンに触れている。常に清められているべきカナトの手が。
それは彼を補佐する執事として――或いはカナトを敬愛する者として、哀しむべき、或いは憤るべきことであるはずだったが、それらの感情よりももっと強く身の内にわき上がった感情が、言葉を詰まらせる。
横目で見遣った己の腕、その傷を辿るように、縁の皮膚の上を親指が辿る。布でなぞられるぞろりとした感触とその指の腹にべったりとこびりついた赤黒い色、肌に残った拭いきれなかった血の筋、――駄目です、おやめください。たったそれだけの言葉が出ない。彼の手が、自分の血によって汚されていく光景から目が離せない。
傷口の周りにこびりついた血をすっかり拭ってからカナトは傷の様子をためつすがめつし始める。布越しの指の感触が腕をなぞる度に、ぞくりと背筋を震わせる悪寒とは違う感覚を必死に抑え込もうとしていたケンは、それで密かに安堵の息を吐いた。
だが、カナトはふと小さく息を吐いて、また新たに滲んできた赤い滴を、指先で掬い取る。すぐにじわりと布地に吸い込まれ、赤い染みを作った指先を一瞥し、彼はそっとケンの肩口で囁く。
「かわいそうに」
優しげな、そして憐れみをにじませたその台詞は、じわりと脳髄に染みて、制止と抵抗の言葉を溶かしてゆく。カナト様がこんな事をする必要はありません、理性が紡ぎ出す制止の言葉は、出血の所為か、或いはその台詞に仕込まれていた甘い誘惑の所為か、口に出す前にほどけて消えていった。
ケンは袖の短い服を好まない。それは学園の制服が丈と袖が長いものであること、また執事としての仕事にはそれ相応の体裁が求められる事もあったが、なにより彼が因使であることに起因していた。ケンの神具は剣である。水滸剣ヒルコの――液体と冷気を操るケンの因使としての力は、たとえ相手と距離を取っても十分に通用するレベルではあったが、やはり得物による実際の一撃には及ばない。そして、相手と距離を詰めて戦えば、当然自分もそれ相応の傷を負う可能性があった。執事のプライドとしても――そして主の体面を汚さぬ為にも、そのような失態を晒すことは許されない。故にケンは傷を負いにくく、または負っても隠しやすい、手首までを隠すような服を好む。
だから、こんな自室以外の場所で肌を晒しているというのは――あまつさえそれを他人に見られているというのは、酷く落ち着かない。たとえそれが、ケンの主たる鳳凰院神那人であっても。
翠色の視線が肩と、そこから僅かに下がった二の腕あたりをゆるりと撫でてゆく。そこには最前から痛みを訴える傷口があった。
朱雀の因使による灼熱の刀身による斬撃は、とっさに冷気を集めて受けたため火傷には至らなかったが、刃自体を躱しきることはできなかった。
視線の理由がわかっていても、やはり居心地悪く、ケンは気まずげに視線を落とす。二の腕の上部にぱかりと口を開けた傷は肉の色を晒し、暗い色の血が未だに細く糸のように筋を作って、肘へと流れていた。寝台に座らされてからの時間の分だけ、傍らに落とした常盤緑の制服――この色は彼が玄武の属性を持つ神具を所有していることを示す――の上に、ぽたりぽたりと赤い滴が溜まっている。
「怪我はそこだけ?」
落ち着いた声が傍らに立つ。手袋に包まれた手が伸びてくるのを見て、とっさにケンは身を引いた。
「! いけませんカナト様、」
急な動きに伴って傷口が酷く痛んだが、自分の苦痛は今更気にすることでもない。
「汚れてしまいます」
服が吸った血はべったりと残って、傷口周りの肌は乾きかけた血でまだらになっている。カナトの白い手袋には、さぞやはっきりと残るだろう。
「構わないよ」
カナトは苦笑を交えて言うが、構わないわけがない。そんなことが――己の血がカナトの服を汚すなど、あってはならない。
「ですが、」
「じっとして」
しかし、言い募る声は有無を言わさぬカナトの言葉に遮られる。決して強い語調ではないものの、はっきりと静止を命じられて、ケンはその場で動けなくなってしまう。――それは決してカナトの因使としての力の発露ではないし、また鳳凰院家の次期当主としての圧力を伴った命令でもない。カナトはただ、たわいもない朝の挨拶と同じような軽さで、希望を口にしただけだ。けれどその言葉はいつだってケンの心を絡めとる。
動きを止めたケンを、その肩を、白い手袋の手が掴んだ。瞬間走った痛みに、ケンは制止を忘れて息を詰める。
「ごめん、痛かった?」
いいえ、と反射的に答えて、ケンは意識して深く息を吐く。勝手に強張る体から、力を抜こうとする――が、肩口に触れた感触が僅かに肌を撫でただけで、その努力はすぐ水泡に帰してしまう。
「……っ」
しかしそれは、痛みゆえではなかった。
彼の手が――触れることすら畏れ多いカナトの手が、血で汚れたケンに触れている。常に清められているべきカナトの手が。
それは彼を補佐する執事として――或いはカナトを敬愛する者として、哀しむべき、或いは憤るべきことであるはずだったが、それらの感情よりももっと強く身の内にわき上がった感情が、言葉を詰まらせる。
横目で見遣った己の腕、その傷を辿るように、縁の皮膚の上を親指が辿る。布でなぞられるぞろりとした感触とその指の腹にべったりとこびりついた赤黒い色、肌に残った拭いきれなかった血の筋、――駄目です、おやめください。たったそれだけの言葉が出ない。彼の手が、自分の血によって汚されていく光景から目が離せない。
傷口の周りにこびりついた血をすっかり拭ってからカナトは傷の様子をためつすがめつし始める。布越しの指の感触が腕をなぞる度に、ぞくりと背筋を震わせる悪寒とは違う感覚を必死に抑え込もうとしていたケンは、それで密かに安堵の息を吐いた。
だが、カナトはふと小さく息を吐いて、また新たに滲んできた赤い滴を、指先で掬い取る。すぐにじわりと布地に吸い込まれ、赤い染みを作った指先を一瞥し、彼はそっとケンの肩口で囁く。
「かわいそうに」
優しげな、そして憐れみをにじませたその台詞は、じわりと脳髄に染みて、制止と抵抗の言葉を溶かしてゆく。カナト様がこんな事をする必要はありません、理性が紡ぎ出す制止の言葉は、出血の所為か、或いはその台詞に仕込まれていた甘い誘惑の所為か、口に出す前にほどけて消えていった。
とりあえず 止血 しろ。
エロいことなど何一つしてないのにエロい文章を目指して玉砕。
ほんとはこの後カナトさんが脱脂綿に消毒液浸けて消毒してくれたり、手袋を指先を噛んで脱いでくれたり、素手の指先に触れられてケンケンはどうしようもなくなっちゃったり、カナトさんが生徒会長らしい模範的な巻き方で包帯巻いてくれたり、そんなのを予定していたんですが、ちょっと忍耐が続きませんで。
すごく久し振りに主×従とか年上×年下とかにはまった気がします。
普段下克上 上等、年下攻め大歓迎の人なので。
エロいことなど何一つしてないのにエロい文章を目指して玉砕。
ほんとはこの後カナトさんが脱脂綿に消毒液浸けて消毒してくれたり、手袋を指先を噛んで脱いでくれたり、素手の指先に触れられてケンケンはどうしようもなくなっちゃったり、カナトさんが生徒会長らしい模範的な巻き方で包帯巻いてくれたり、そんなのを予定していたんですが、ちょっと忍耐が続きませんで。
すごく久し振りに主×従とか年上×年下とかにはまった気がします。
普段下克上 上等、年下攻め大歓迎の人なので。
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( 2010/06/28)
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