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2024/09/23

 時々ね、お月様が怖いんだ。

 真円の月はぷかりと低い位置に浮かんで、一筋の雲の翳りもなくその姿をさらしている。
 いつになく明るい月光は、呟いた彼女の肌の滑らかさと整った輪郭を際だたせ、柔らかそうな金髪に薄い翳りを落とす。たおやかに体の線を隠す夜着から伸びた剥き出しの腕は、日焼けしているはずだったが、月の光の下では数段白かった。
 悔しいな、とメリッサは思う。曖昧で静かな月の光は、彼女の持つ雰囲気からはほど遠かったけれど、それでも彼女の美しさを充分に引き立てた。もしこの瞬間を絵画にしたら、きっと画家はその絵に彼女の名前は付けない。メリッサは神話には詳しくないけれど、セレーネだとか、ルナだとか、そんな女神の名前を題名をつけるはずだ。
 そんな風に月の恩恵を一身に受けながら、月が怖い、と彼女は言う。
 言ってから、彼女は少しだけ間をおいて、ううん、と少し首を傾げる。
「ちょっと違うかな。今怖いんじゃなく、怖かったことを思い出すんだ」
 怖い、とメリッサは口の中で呟く。それが聞こえたのか、エフィメラはごく簡単に頷いた。
「宮殿から逃げ出した日。月が出てたんだ。銀色のお月様がさ、ばかでかい城の屋根に掛かって、小さいくせに妙に明るいの。足下にうっすら影が出来るくらいでさ……」
 怖い、と言うくせに夢見るような滑らかさで、エフィメラは言葉を紡ぐ。緩やかな瞬きに応じて、青い瞳が一瞬だけ翳った。その一瞬にどんな感情が彼女の瞳に浮かんだのかは、メリッサには読み取れなかったけれど。
「取る物もとりあえずでさっさと逃げなきゃならないっていうのに、いざ建物から出ようとしたら、月が明るくてさ。足が竦んだの。見つかるんじゃないかって」
 そこで言葉を切ったエフィメラの視線を追って、メリッサは窓を見上げる。薄く黄色みがかった、大きな月。メリッサには、怖い、と言ったエフィメラの見た月を想像することは出来ない。出来はしないけれど。
「でも……それでも貴女は、ミュルメクス様を連れてお逃げになったのですね」
 その怖さだけは、少しだけ想像できるような気がした。
 そりゃあね、と屈託無くエフィメラは笑う。
「その場に残ったら、殿下捕まっちゃうもん。行くしかないじゃない。あと、どっちが連れてたかってのは、逆」
 引っ張ってったのは私だけどね。付け足された言に苦笑を返しながら、メリッサは思う。彼女の言った、今怖いわけではない、という言葉は本当なのだろう。そうでなければ怖い物を前に、こんな風に笑えはしないから。
(私は――……何かあったら、姫様の手を引いて、逃げられるかしら)
 それだけの勇気と才覚を、自分は持てるだろうか。
 小さく響いてきた歌声に、そっと目を閉じてメリッサは己の胸に問う。己はいざというとき、怖いものから目を逸らさないでいられるだろうか。立ち向かうことができるだろうか。
 やがて歌声に気付いたのか、綺麗な歌だね、と首を巡らせるエフィメラに小さく頷いて、メリッサは口を開く。
「エフィメラさん、……理由は違いますけど、私も月が怖いんです」
 無言のままこちらへ向けられた視線を感じながら、メリッサは落とした声で言葉を紡いだ。歌声は小さく、けれど未だはっきりと響いている。
「月が……満月が何かを変えてしまいそうで、それが少し、怖いんです」
 視線を上げてメリッサはエフィメラを見た。月の光を受けて、相変わらず彼女は美しい。けれど流れてくる歌声は、それを上回って美しかった。
 人の声とも思えぬ滑らかさで紡がれるメロディも声も、馴染んだもののはずなのに、とてもそうは思えない。今まで聞いてきた同じ歌が、まったく別の物に聞こえるほど澄んでいる。心を震わせるような感情の抑揚はなく、ただひたすら澄んで、抵抗無くどこまでも響くような――そういう歌。
 翌朝になれば、この声はまるで夢から覚めたように人らしい色を取り戻す。それは解っているのだけれど……
 喉まで出かかった不安を呑み込んで、メリッサは俯く。言って不安を撒き散らしてしまいたい。けれど、言葉にしたら本当にそうなってしまいそうで、言えなかった。
(姫様が、私の知っている姫様じゃなくなってしまったらって――……)

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2011/03/23
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