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2024/09/23

「――殿下」
「…………」
「殿下ぁ」
「…………」
「……泣いてるの?」
 問えば、寝台の上の人影が身じろいで、長い黒髪の間から僅かに俯いた顔が覗いた。元々隠す様なつもりもなかったのだろう、紅茶に似た色をした指が、ゆるゆるとした仕草で同色の頬に触れる。
「泣いて……は、ないな」
 力ない声がそう言って、乾いた目元を撫でた指がぱたりと落ちた。
「泣いてはいない。……そうだな、ぼんやりしている」
「……」
「昔のことばかり考えていて、何も手につかない。……エフィメラ」
「うん?」
 呼ばれて、エフィメラは扉を背に立ったまま首を傾げる。二人きりの時に名を呼ばれるのは久し振りだった。それだけの長い間、エフィメラは影のように空気のように、彼の傍らに在ったので。
「私のしようとしたことは間違っていたか」
「そんなのはさ、殿下。今あたし達が決める事じゃなくて、何十年か先に決まることだよ」
 それに、とエフィメラは胸の内だけで呟く。正しかろうが間違っていようが、裏切られたって気持ちも事実も消えないよ。
 宵闇の色をした瞳はしばらく黙ってこちらを見ていたが、やがてふと彼は目を閉じた。
 溜息のように、そうだな、という相づちが吐き出される。
「勝つか負けるか、って意味なら、勝つに決まってるけどね。……ねぇ、殿下」
「何だ」
「そっち行って良い?」
「好きにしたらいい」
 そろり、とエフィメラは扉から背中を離す。もはや磨いても鈍い艶しかでない床を一歩、二歩、三歩、丁度四歩目で膝が寝台に触れる位置に来る。
「ねえ、殿下」
「……何だ」
「ぎゅってしてあげようか」
「……好きにしろ」
「ん」
 綿のシーツに膝を付く。俯いた黒髪に手を回す。伸ばした腕で肩を包んで、身を寄せた。
「……エフィメラ」
「うん」
「どういうつもりだ?」
「母親ってさ、こうやるでしょ」
「……私は子供じゃないし、お前が母親になる必要もない」
「解ってないなぁ。胸がある女共通の慰め方だよ」

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2010/04/23
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