ゆるりと、加州清光は己の首筋の下、丁度襟よりもっと下の、普段は服に隠れて見えない辺りを指で辿った。小さな手鏡に映った己の姿。その、生白い胸の上あたりに、薄らと消えかけた一つの痕があった。
鍛錬を積んだ足元は、たとえ氷のように冷えきっていても忍び歩くことができる。
廊下ではなく、わざわざ縁側をつたい、そっと障子に手をかけた。
耳を澄ませば、静かで穏やかな寝息が聞こえてくる。それに、ふ、と息を吐いてそっと部屋の中に忍び込んだ。
男の趣味なのだろうか、薄らと香の匂いのする空気は、川の下の生まれである己にはひどく似合わない。身の回りのことに疎いこの男は、けれどもこうした浮世離れしたことには手馴れているようだった。
そこになおさら生まれの差、刀として存在してきた年月、来歴の差すべてを感じて、加州は独り自嘲の笑みを浮かべる。
音を立てないようにと裸足でやって来た足がひたりと畳を踏んで、膨らんだ布団へと近づく。眠る男はいつもの頭飾りを取り去って打ち除けの映える瞳が閉じられていてもどこか典雅な風情で、それが加州には少しばかり羨ましい。
この眠りを妨げるのは幾ばくかの忍びなさを感じたのだけれども、己の欲には勝てずに、するりと加州は掛布の中へと忍び込んだ。
と、途端に腕を引かれ抱きすくめられる。
「かわいそうに、こんなに冷えて」
暗がりの中、部屋の様子は上手く見て取ることが出来ない。それでも加州には、相手があの人好きそうな笑みを浮かべているのが想像できた。
「起きて、たのかよ」
「こんなじじいでも刀であるからにはなぁ。気配には敏いものだよ、清光」
滅多になく下の名前で呼ばれて、加州はじわりと体が熱くなるのを感じる。本当に、この男は滅多に加州をこの名で呼んでくれない。冷たい足を絡ませると、相手はーー三日月が何処か楽しそうに忍び笑った。
「駄目ではないか、清光、こんな寒い夜に上着の一つもなく」
「っ、どーせ、脱ぐ、から…」
ぽつりとこぼすと、抱きすくめた腕の力が強まったのを感じた。
三日月の体温で温まった布団の中は心地いい。本来は血潮も持たぬ身だというのに、いつの間にかこうして触れ合って体温を確かめることを心地いいと感じるようになってしまった。それが刀剣として良いことなのか悪いことなのかは加州にはわからない。
「清光」
紡がれる音の羅列が心地よい。
「あまり急くものではないよ」
紛れも無い劣情のことを暗に示され、加州はかっと頬を染める。だがそれも一瞬のことで、体は勝手に首を伸ばして、夜気にわずかに温度を落とした唇を塞いでいた。
「清光、」
咎めるような声にも構わず、二度、三度と接吻を繰り返す。
「宗、近」
すがるような声を出せば、三日月がわずかに目を細める。苦笑にも、煽られたようにも取れる表情だった。
「仕方がないな」
それを同意ととって、加州はさらに体を密着させる。下半身にじわりと熱が集まる。
体勢を入れ替えるように敷布に押し付けられた、持ち上がった掛布の隙間から忍び込んでくる冷気にふるりと身を震わせる。それをなだめるように口づけが落とされた。
「ぅあ……ッ」
あからさまに濡れた声をうっかり隣にでも聞かれはしないかと、加州は慌てて手のひらで口元を覆った。ぎゅっと閉じた眦は、少しだけ濡れている。
ふ、と笑う気配があって、ちゅ、とわざとらしい音を立てて軽く頬に口付けを落とされる。それが不満で加州はようよう掌を少しだけ唇から浮かせた。
「ちが…」
「何がだ?」
こんな時に余裕さえ滲むような声で聞いてくる相手を小憎たらしいと思いながら、加州は言い募る。
「そこ…じゃなく、別のところに」
そう強請れば、僅かの間の後に消えかけた痕の上をなぞるような口づけが落とされた。緩く、触れるだけのようなそれが、加州にはもどかしくてならない。
「宗近、そう、じゃなくて」
「ではどうして欲しい?」
ああ、意地の悪いじじいだ、そんなふうに軽口を叩けたらいいのに。そう思いながらゆっくりと瞳を開く。
体が欲する熱なんてものは二の次だった。
証がほしい。
愛されている証がほしい。
「痕、つけてよ……」
体だけでも愛されている証がほしい。心なんていつ変わるかわからない、だから加州はこうしてねだるのだ。
白い肌に、傷のように花開く朱がほしい。
鍛錬を積んだ足元は、たとえ氷のように冷えきっていても忍び歩くことができる。
廊下ではなく、わざわざ縁側をつたい、そっと障子に手をかけた。
耳を澄ませば、静かで穏やかな寝息が聞こえてくる。それに、ふ、と息を吐いてそっと部屋の中に忍び込んだ。
男の趣味なのだろうか、薄らと香の匂いのする空気は、川の下の生まれである己にはひどく似合わない。身の回りのことに疎いこの男は、けれどもこうした浮世離れしたことには手馴れているようだった。
そこになおさら生まれの差、刀として存在してきた年月、来歴の差すべてを感じて、加州は独り自嘲の笑みを浮かべる。
音を立てないようにと裸足でやって来た足がひたりと畳を踏んで、膨らんだ布団へと近づく。眠る男はいつもの頭飾りを取り去って打ち除けの映える瞳が閉じられていてもどこか典雅な風情で、それが加州には少しばかり羨ましい。
この眠りを妨げるのは幾ばくかの忍びなさを感じたのだけれども、己の欲には勝てずに、するりと加州は掛布の中へと忍び込んだ。
と、途端に腕を引かれ抱きすくめられる。
「かわいそうに、こんなに冷えて」
暗がりの中、部屋の様子は上手く見て取ることが出来ない。それでも加州には、相手があの人好きそうな笑みを浮かべているのが想像できた。
「起きて、たのかよ」
「こんなじじいでも刀であるからにはなぁ。気配には敏いものだよ、清光」
滅多になく下の名前で呼ばれて、加州はじわりと体が熱くなるのを感じる。本当に、この男は滅多に加州をこの名で呼んでくれない。冷たい足を絡ませると、相手はーー三日月が何処か楽しそうに忍び笑った。
「駄目ではないか、清光、こんな寒い夜に上着の一つもなく」
「っ、どーせ、脱ぐ、から…」
ぽつりとこぼすと、抱きすくめた腕の力が強まったのを感じた。
三日月の体温で温まった布団の中は心地いい。本来は血潮も持たぬ身だというのに、いつの間にかこうして触れ合って体温を確かめることを心地いいと感じるようになってしまった。それが刀剣として良いことなのか悪いことなのかは加州にはわからない。
「清光」
紡がれる音の羅列が心地よい。
「あまり急くものではないよ」
紛れも無い劣情のことを暗に示され、加州はかっと頬を染める。だがそれも一瞬のことで、体は勝手に首を伸ばして、夜気にわずかに温度を落とした唇を塞いでいた。
「清光、」
咎めるような声にも構わず、二度、三度と接吻を繰り返す。
「宗、近」
すがるような声を出せば、三日月がわずかに目を細める。苦笑にも、煽られたようにも取れる表情だった。
「仕方がないな」
それを同意ととって、加州はさらに体を密着させる。下半身にじわりと熱が集まる。
体勢を入れ替えるように敷布に押し付けられた、持ち上がった掛布の隙間から忍び込んでくる冷気にふるりと身を震わせる。それをなだめるように口づけが落とされた。
「ぅあ……ッ」
あからさまに濡れた声をうっかり隣にでも聞かれはしないかと、加州は慌てて手のひらで口元を覆った。ぎゅっと閉じた眦は、少しだけ濡れている。
ふ、と笑う気配があって、ちゅ、とわざとらしい音を立てて軽く頬に口付けを落とされる。それが不満で加州はようよう掌を少しだけ唇から浮かせた。
「ちが…」
「何がだ?」
こんな時に余裕さえ滲むような声で聞いてくる相手を小憎たらしいと思いながら、加州は言い募る。
「そこ…じゃなく、別のところに」
そう強請れば、僅かの間の後に消えかけた痕の上をなぞるような口づけが落とされた。緩く、触れるだけのようなそれが、加州にはもどかしくてならない。
「宗近、そう、じゃなくて」
「ではどうして欲しい?」
ああ、意地の悪いじじいだ、そんなふうに軽口を叩けたらいいのに。そう思いながらゆっくりと瞳を開く。
体が欲する熱なんてものは二の次だった。
証がほしい。
愛されている証がほしい。
「痕、つけてよ……」
体だけでも愛されている証がほしい。心なんていつ変わるかわからない、だから加州はこうしてねだるのだ。
白い肌に、傷のように花開く朱がほしい。
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( 2015/01/28)
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