アーモロードは、比較的坂の多い地形をしている。住んでいれば慣れてしまうものだが、沖合から島を見れば、ゆるやかに高さを増す地形に沿って、それぞれの建物が海を見下ろすように建っているのが解るだろう。
100年前に一度全てが失われたという町並みは、だが今となっては石畳は綺麗に舗装されなおし、小さな窓が一定の間隔で並ぶ独特の建物が建ち並び、災厄の面影すらない。
その平和な町並みの一角、元老院や世界樹、そしてその迷宮へと挑む冒険者達の集まる商店や港からは少しばかり西へずれた辺り、人気の少ない通りを、空の荷車を押しつつ歩いていた人影が、ふと立ち止まる。
ううん、と随分明るい色の赤毛の男は、人と比べると少々高い位置にある首を傾げて、辺りを見回す。
(……困ったな)
緑の壁の路地、クリーム色の曲がり角、赤茶けた瓦を載せた屋根。煉瓦を積むのと同じ模様で敷き詰められた石畳。
アーモロードでは珍しくもない、どこにでもある風景だ。どこにでも「ありそうな」風景とも言う。
見覚えがあるような無いような――否、無い風景をもう一度見回して、彼は困ったように眼鏡の奥、赤の強く出た茶色の瞳を瞬かせた。
普段はあまり足を伸ばすことのない一画への小口の配達注文、地図と首っ引きで無事配達ははたせたものの、帰り道で道を間違ったらしい。
アーモロードの住人としてはあるまじき事だが、海都に来て日の浅い冒険者の多いこの街では、所謂「迷子」は案外多い。見通しの良い場所に出られれば港や元老院までの道は明らかなのだが、如何せんこの海都は2~3階建ての背の高い建物が多く、人の視界では視線の通る場所は限られてしまう。おまけに建物はほとんどが100年前に建て直されたものだから、外観もおおむね似通っている。迷いやすいのだ。
そんな海都で迷ったらするべきことはただ一つ、建物の向きを見て、海の方向を知ることだ。
実際背の高い赤毛の男、ドルナーも生まれも育ちも生粋の海都民であるので、既に大体の方角は把握できてはいるのだが――
(こっちはあんまり通りたくないんだよ……)
少し先から左手に伸びる路地。ドルナーの感覚が正しければ、この路地の伸びる方角へ直進すればそこそこ大きな通りに出られるはずだった。だが、そうして突っ切らなければならない一画は、所謂「夜は通らない方がいい」区域でもある。まだ日は高いが、看板として掲げている「花屋」とは別の、もう一つの生業の性質上、あまりこの手の区域には立ち入りたくないというのが本音だ。おまけに今は配達帰りで荷車も一緒。小回りが利く状態ではない。
(戻って別の道を使った方がいいな)
そう判断を下し、ごとごとと荷車の向きを変える。一体道を間違ったのはどこだったのだろうと記憶を手繰りながら歩き出そうとしたときだった。
「珍しい人も居たもんだね」
少し嗄れてはいるものの、張りのある声。聞き覚えのあるそれに誰だったかと記憶を探って、一瞬後に思い当たる。声のした方を見遣ると、見知った人影はすぐに見つかった。灰色の髪をひっつめ、皺のある顔に驚いたようなからかうような表情を浮かべた、ドルナーよりも頭一つ分以上小さいだろう小さな人影。
「イムランさん」
何度か店先で交わした会話で知った名を呼ぶと、老婆はにこにこと笑いながら傍らまでやってくる。
「どうしたのさ、こんなとこで。まさか行商でもはじめたのかい?」
「いや、お恥ずかしいことに迷ってたとこです。配達の帰りなんですが、どうも曲がる角を間違ったみたいで」
「だろうねぇ。あんたみたいなのがほいほい出歩くような場所じゃあないさね」
くつくつと老女が笑い、あわせてドルナーも苦笑を浮かべる。
街の中心地から離れ、いくらか寂れた場所だとは言っても、まだこの辺りはさほど治安の悪い場所ではない。しかしそれでも老女が、出歩くような場所ではない、と言ったのは、彼女がドルナーの「もう一つの生業」を知っているからだ。
毒を持ち、或いは人の心を耽溺させるが故に、海都の法によって隔離された植物達――それらを取り扱い、治療院や研究施設へ卸す。それがドルナーが二年前から請け負っている仕事だった。その内容故に一部の植物の取り扱いは表向き秘されているはずなのだが。
「そう言うイムランさんは、お散歩ですか?」
見たところ買い物に出る様子でもなさそうなのでそう問うたのだが、いや、と老女は笑いながら首を振る。
「あんた見かけたからね。ちょいと気になってお節介を焼きに来たんだよ」
「こりゃ妙なところを見られたようで……って、この辺りにお住まいなんですか」
「おやおや、この辺で闇医者と言ったらこのイムラン婆さんのことさね。てっきり知ってるもんだと思ってたんだがね!」
ま、あんたみたいなのが知ってるってのも妙な話か、老婆はそう独りごちると、踵を返す。
「ほら、迷子の手を引いてやろうじゃないか。ここいらは私の庭みたいなもんさ。ついといで」
100年前に一度全てが失われたという町並みは、だが今となっては石畳は綺麗に舗装されなおし、小さな窓が一定の間隔で並ぶ独特の建物が建ち並び、災厄の面影すらない。
その平和な町並みの一角、元老院や世界樹、そしてその迷宮へと挑む冒険者達の集まる商店や港からは少しばかり西へずれた辺り、人気の少ない通りを、空の荷車を押しつつ歩いていた人影が、ふと立ち止まる。
ううん、と随分明るい色の赤毛の男は、人と比べると少々高い位置にある首を傾げて、辺りを見回す。
(……困ったな)
緑の壁の路地、クリーム色の曲がり角、赤茶けた瓦を載せた屋根。煉瓦を積むのと同じ模様で敷き詰められた石畳。
アーモロードでは珍しくもない、どこにでもある風景だ。どこにでも「ありそうな」風景とも言う。
見覚えがあるような無いような――否、無い風景をもう一度見回して、彼は困ったように眼鏡の奥、赤の強く出た茶色の瞳を瞬かせた。
普段はあまり足を伸ばすことのない一画への小口の配達注文、地図と首っ引きで無事配達ははたせたものの、帰り道で道を間違ったらしい。
アーモロードの住人としてはあるまじき事だが、海都に来て日の浅い冒険者の多いこの街では、所謂「迷子」は案外多い。見通しの良い場所に出られれば港や元老院までの道は明らかなのだが、如何せんこの海都は2~3階建ての背の高い建物が多く、人の視界では視線の通る場所は限られてしまう。おまけに建物はほとんどが100年前に建て直されたものだから、外観もおおむね似通っている。迷いやすいのだ。
そんな海都で迷ったらするべきことはただ一つ、建物の向きを見て、海の方向を知ることだ。
実際背の高い赤毛の男、ドルナーも生まれも育ちも生粋の海都民であるので、既に大体の方角は把握できてはいるのだが――
(こっちはあんまり通りたくないんだよ……)
少し先から左手に伸びる路地。ドルナーの感覚が正しければ、この路地の伸びる方角へ直進すればそこそこ大きな通りに出られるはずだった。だが、そうして突っ切らなければならない一画は、所謂「夜は通らない方がいい」区域でもある。まだ日は高いが、看板として掲げている「花屋」とは別の、もう一つの生業の性質上、あまりこの手の区域には立ち入りたくないというのが本音だ。おまけに今は配達帰りで荷車も一緒。小回りが利く状態ではない。
(戻って別の道を使った方がいいな)
そう判断を下し、ごとごとと荷車の向きを変える。一体道を間違ったのはどこだったのだろうと記憶を手繰りながら歩き出そうとしたときだった。
「珍しい人も居たもんだね」
少し嗄れてはいるものの、張りのある声。聞き覚えのあるそれに誰だったかと記憶を探って、一瞬後に思い当たる。声のした方を見遣ると、見知った人影はすぐに見つかった。灰色の髪をひっつめ、皺のある顔に驚いたようなからかうような表情を浮かべた、ドルナーよりも頭一つ分以上小さいだろう小さな人影。
「イムランさん」
何度か店先で交わした会話で知った名を呼ぶと、老婆はにこにこと笑いながら傍らまでやってくる。
「どうしたのさ、こんなとこで。まさか行商でもはじめたのかい?」
「いや、お恥ずかしいことに迷ってたとこです。配達の帰りなんですが、どうも曲がる角を間違ったみたいで」
「だろうねぇ。あんたみたいなのがほいほい出歩くような場所じゃあないさね」
くつくつと老女が笑い、あわせてドルナーも苦笑を浮かべる。
街の中心地から離れ、いくらか寂れた場所だとは言っても、まだこの辺りはさほど治安の悪い場所ではない。しかしそれでも老女が、出歩くような場所ではない、と言ったのは、彼女がドルナーの「もう一つの生業」を知っているからだ。
毒を持ち、或いは人の心を耽溺させるが故に、海都の法によって隔離された植物達――それらを取り扱い、治療院や研究施設へ卸す。それがドルナーが二年前から請け負っている仕事だった。その内容故に一部の植物の取り扱いは表向き秘されているはずなのだが。
「そう言うイムランさんは、お散歩ですか?」
見たところ買い物に出る様子でもなさそうなのでそう問うたのだが、いや、と老女は笑いながら首を振る。
「あんた見かけたからね。ちょいと気になってお節介を焼きに来たんだよ」
「こりゃ妙なところを見られたようで……って、この辺りにお住まいなんですか」
「おやおや、この辺で闇医者と言ったらこのイムラン婆さんのことさね。てっきり知ってるもんだと思ってたんだがね!」
ま、あんたみたいなのが知ってるってのも妙な話か、老婆はそう独りごちると、踵を返す。
「ほら、迷子の手を引いてやろうじゃないか。ここいらは私の庭みたいなもんさ。ついといで」
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( 2010/09/23)
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