闇というのはどうにもこの地に生きとし生けるものとは相容れぬようで、故に闇ばかりを包容した夜は、生者の恐れと不安を招く。
その闇の中を滑るように裂いた影は、さながら舞うように一つ旋回する。羽ばたきもなく、夜の獣達よりも静かに崖上へと降り立った彼は、夜空を振り仰いで歌うように呟いた。
「ああ、良い夜だ」
空を埋めるのは満天の星、月のない夜には星明かりが目立つ。しかし空に散ったその光は月光に比べればいかにも儚く、闇を駆逐するほどには至らない。
昼生きる生き物は夜目が利かない、それがこの地上での理、と言うものらしいが、異界から来た彼等のような生き物には、どうやら当てはまらないらしい。遙か昔にこの地の人々が定めたという星座を眼で追った。
北の空に動かない星が一つ。これより北の地では、特別な意味を伴って呼ばれるらしいその星を指し示すのは、罰を受ける女の星だ。高慢さ故に逆さに吊され空にあげられたというその女にまつわる逸話を思い出して、彼はうっすらと微笑む。
そんな女の名を勝手に付けられて、付けられた方からすればさぞ理不尽なことだろう。星はあんなに美しいというのに。
「……それに比べて」
呟いて、彼は崖下を見遣った。
匪賊達の焚いた篝火が、崖上に潜む彼の整った貌を照らしあげている。
こんなに暗い夜では、派手な明かりがあった方が周りが見づらくなるのだが、酒と略奪の余韻に酔っている彼等は、どうやら気が回らないらしい。
地上には馬鹿な子ほど可愛い、とかいう言葉もあるらしいが、古くから残る寺院を打ち壊し、彫刻も何もかも破壊していった彼等は、ホルストにとっては馬鹿なだけで欠片の愛おしさも感じない。
「まったく、美しくないね」
何処か酷薄な響きが含有された言葉と共に、今まで潜めていた翼に宿る焔を解放する。熱された金属のように輝きだした翼、やっと崖上に潜む異形に気付いた匪賊が慌てた様な声を上げたが、もう遅い。
石塊に還った乙女を偲び、彼は大きく翼を広げた。
その闇の中を滑るように裂いた影は、さながら舞うように一つ旋回する。羽ばたきもなく、夜の獣達よりも静かに崖上へと降り立った彼は、夜空を振り仰いで歌うように呟いた。
「ああ、良い夜だ」
空を埋めるのは満天の星、月のない夜には星明かりが目立つ。しかし空に散ったその光は月光に比べればいかにも儚く、闇を駆逐するほどには至らない。
昼生きる生き物は夜目が利かない、それがこの地上での理、と言うものらしいが、異界から来た彼等のような生き物には、どうやら当てはまらないらしい。遙か昔にこの地の人々が定めたという星座を眼で追った。
北の空に動かない星が一つ。これより北の地では、特別な意味を伴って呼ばれるらしいその星を指し示すのは、罰を受ける女の星だ。高慢さ故に逆さに吊され空にあげられたというその女にまつわる逸話を思い出して、彼はうっすらと微笑む。
そんな女の名を勝手に付けられて、付けられた方からすればさぞ理不尽なことだろう。星はあんなに美しいというのに。
「……それに比べて」
呟いて、彼は崖下を見遣った。
匪賊達の焚いた篝火が、崖上に潜む彼の整った貌を照らしあげている。
こんなに暗い夜では、派手な明かりがあった方が周りが見づらくなるのだが、酒と略奪の余韻に酔っている彼等は、どうやら気が回らないらしい。
地上には馬鹿な子ほど可愛い、とかいう言葉もあるらしいが、古くから残る寺院を打ち壊し、彫刻も何もかも破壊していった彼等は、ホルストにとっては馬鹿なだけで欠片の愛おしさも感じない。
「まったく、美しくないね」
何処か酷薄な響きが含有された言葉と共に、今まで潜めていた翼に宿る焔を解放する。熱された金属のように輝きだした翼、やっと崖上に潜む異形に気付いた匪賊が慌てた様な声を上げたが、もう遅い。
石塊に還った乙女を偲び、彼は大きく翼を広げた。
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「何でこの世界に住もうなんて思ったんだ?」
獣避けのために焚いた火を、枝でかき混ぜながらマキシは問うた。
地上の下には魔界、更にその下には大魔界があるというのは周知の事実で、簡単に繋がりはしないが、この世界の他にも沢山の異世界が存在している、というのは天界ではもはや定説だ。
「この世界の他にも、もっと都合の良い場所があったんじゃないのか?」
「決まっている」
何を解りきったことを、とでも言いたげな調子で答えた鬼の手には、何故だか杯と酒瓶とがある。どこから持ってきたんだ、まさか盗んできたんじゃ……(彼等が通貨を持っているなんて思えない!)と思ったが、訊いたら面倒なことになりそうだったので、ここはあえて眼を瞑ることにする。
青い髪の鬼は、空を振り仰いだ。木々の切れ間から覗く空には、丁度真円の月が浮かんでいる。
「月が美しかった。だから此処にした」
「そうだね」
少し離れた倒木に腰掛けた火炎を操る鬼は、真っ赤な爪を磨きながら(そう言えば何故か彼は地上界での身嗜みにやたらと詳しい)言う。
「粋という概念は相変わらず理解しきれませんが、天体の美しさには同意しますよ」
「確かに、この世界は綺麗」
先の割れた槍を磨いていたクレアが言った。そう言えば今日の夕飯当番で魚を捕ってきたのは彼女だった。
「尤も、私達の世界に似ているから、そう思うのかも知れないけど」
肩を竦めた彼女の横では、白い毛並みに埋もれるようにして、この地上の住人であるメリルとアゼルが眠っている。尾を枕に使われているケルベーダは居心地悪そうにちらちらと二人を見ていて、マキシは小さく笑った。
獣避けのために焚いた火を、枝でかき混ぜながらマキシは問うた。
地上の下には魔界、更にその下には大魔界があるというのは周知の事実で、簡単に繋がりはしないが、この世界の他にも沢山の異世界が存在している、というのは天界ではもはや定説だ。
「この世界の他にも、もっと都合の良い場所があったんじゃないのか?」
「決まっている」
何を解りきったことを、とでも言いたげな調子で答えた鬼の手には、何故だか杯と酒瓶とがある。どこから持ってきたんだ、まさか盗んできたんじゃ……(彼等が通貨を持っているなんて思えない!)と思ったが、訊いたら面倒なことになりそうだったので、ここはあえて眼を瞑ることにする。
青い髪の鬼は、空を振り仰いだ。木々の切れ間から覗く空には、丁度真円の月が浮かんでいる。
「月が美しかった。だから此処にした」
「そうだね」
少し離れた倒木に腰掛けた火炎を操る鬼は、真っ赤な爪を磨きながら(そう言えば何故か彼は地上界での身嗜みにやたらと詳しい)言う。
「粋という概念は相変わらず理解しきれませんが、天体の美しさには同意しますよ」
「確かに、この世界は綺麗」
先の割れた槍を磨いていたクレアが言った。そう言えば今日の夕飯当番で魚を捕ってきたのは彼女だった。
「尤も、私達の世界に似ているから、そう思うのかも知れないけど」
肩を竦めた彼女の横では、白い毛並みに埋もれるようにして、この地上の住人であるメリルとアゼルが眠っている。尾を枕に使われているケルベーダは居心地悪そうにちらちらと二人を見ていて、マキシは小さく笑った。
人によく似た鬼の手が中空を掴んだ。キリと何かを引き絞る仕草、その手に青白い光が収束する。
光の矢の本性は青い稲妻、鈎爪さえない指から解放された瞬間、音より速く飛んだ矢は人の姿をした神を射らんと空を裂く。
真っ直ぐに標的を目指したその矢は、だが神の胸を射ることはなかった。
じゅう、と音を立てて白熱する矢は消滅した。――その矢を受け止めたマキシウスの手の中で。
初めて鬼の眼に驚きにも似た色が浮かぶ。
矢の纏っていた高温の陽炎を払いのけ、目覚めた荒ぶる神は、少年の顔に獰猛な笑みを浮かべた。
光の矢の本性は青い稲妻、鈎爪さえない指から解放された瞬間、音より速く飛んだ矢は人の姿をした神を射らんと空を裂く。
真っ直ぐに標的を目指したその矢は、だが神の胸を射ることはなかった。
じゅう、と音を立てて白熱する矢は消滅した。――その矢を受け止めたマキシウスの手の中で。
初めて鬼の眼に驚きにも似た色が浮かぶ。
矢の纏っていた高温の陽炎を払いのけ、目覚めた荒ぶる神は、少年の顔に獰猛な笑みを浮かべた。
( 2008/07/26)
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