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2024/09/24

 緩い空調の風が剥き出しになった素肌を撫でていって、ケンは我知らず身を竦めた。
 ケンは袖の短い服を好まない。それは学園の制服が丈と袖が長いものであること、また執事としての仕事にはそれ相応の体裁が求められる事もあったが、なにより彼が因使であることに起因していた。ケンの神具は剣である。水滸剣ヒルコの――液体と冷気を操るケンの因使としての力は、たとえ相手と距離を取っても十分に通用するレベルではあったが、やはり得物による実際の一撃には及ばない。そして、相手と距離を詰めて戦えば、当然自分もそれ相応の傷を負う可能性があった。執事のプライドとしても――そして主の体面を汚さぬ為にも、そのような失態を晒すことは許されない。故にケンは傷を負いにくく、または負っても隠しやすい、手首までを隠すような服を好む。
 だから、こんな自室以外の場所で肌を晒しているというのは――あまつさえそれを他人に見られているというのは、酷く落ち着かない。たとえそれが、ケンの主たる鳳凰院神那人であっても。
 翠色の視線が肩と、そこから僅かに下がった二の腕あたりをゆるりと撫でてゆく。そこには最前から痛みを訴える傷口があった。
 朱雀の因使による灼熱の刀身による斬撃は、とっさに冷気を集めて受けたため火傷には至らなかったが、刃自体を躱しきることはできなかった。
 視線の理由がわかっていても、やはり居心地悪く、ケンは気まずげに視線を落とす。二の腕の上部にぱかりと口を開けた傷は肉の色を晒し、暗い色の血が未だに細く糸のように筋を作って、肘へと流れていた。寝台に座らされてからの時間の分だけ、傍らに落とした常盤緑の制服――この色は彼が玄武の属性を持つ神具を所有していることを示す――の上に、ぽたりぽたりと赤い滴が溜まっている。
「怪我はそこだけ?」
 落ち着いた声が傍らに立つ。手袋に包まれた手が伸びてくるのを見て、とっさにケンは身を引いた。
「! いけませんカナト様、」
 急な動きに伴って傷口が酷く痛んだが、自分の苦痛は今更気にすることでもない。
「汚れてしまいます」
 服が吸った血はべったりと残って、傷口周りの肌は乾きかけた血でまだらになっている。カナトの白い手袋には、さぞやはっきりと残るだろう。
「構わないよ」
 カナトは苦笑を交えて言うが、構わないわけがない。そんなことが――己の血がカナトの服を汚すなど、あってはならない。
「ですが、」
「じっとして」
 しかし、言い募る声は有無を言わさぬカナトの言葉に遮られる。決して強い語調ではないものの、はっきりと静止を命じられて、ケンはその場で動けなくなってしまう。――それは決してカナトの因使としての力の発露ではないし、また鳳凰院家の次期当主としての圧力を伴った命令でもない。カナトはただ、たわいもない朝の挨拶と同じような軽さで、希望を口にしただけだ。けれどその言葉はいつだってケンの心を絡めとる。
 動きを止めたケンを、その肩を、白い手袋の手が掴んだ。瞬間走った痛みに、ケンは制止を忘れて息を詰める。
「ごめん、痛かった?」
 いいえ、と反射的に答えて、ケンは意識して深く息を吐く。勝手に強張る体から、力を抜こうとする――が、肩口に触れた感触が僅かに肌を撫でただけで、その努力はすぐ水泡に帰してしまう。
「……っ」
 しかしそれは、痛みゆえではなかった。
 彼の手が――触れることすら畏れ多いカナトの手が、血で汚れたケンに触れている。常に清められているべきカナトの手が。
 それは彼を補佐する執事として――或いはカナトを敬愛する者として、哀しむべき、或いは憤るべきことであるはずだったが、それらの感情よりももっと強く身の内にわき上がった感情が、言葉を詰まらせる。
 横目で見遣った己の腕、その傷を辿るように、縁の皮膚の上を親指が辿る。布でなぞられるぞろりとした感触とその指の腹にべったりとこびりついた赤黒い色、肌に残った拭いきれなかった血の筋、――駄目です、おやめください。たったそれだけの言葉が出ない。彼の手が、自分の血によって汚されていく光景から目が離せない。
 傷口の周りにこびりついた血をすっかり拭ってからカナトは傷の様子をためつすがめつし始める。布越しの指の感触が腕をなぞる度に、ぞくりと背筋を震わせる悪寒とは違う感覚を必死に抑え込もうとしていたケンは、それで密かに安堵の息を吐いた。
 だが、カナトはふと小さく息を吐いて、また新たに滲んできた赤い滴を、指先で掬い取る。すぐにじわりと布地に吸い込まれ、赤い染みを作った指先を一瞥し、彼はそっとケンの肩口で囁く。
「かわいそうに」
 優しげな、そして憐れみをにじませたその台詞は、じわりと脳髄に染みて、制止と抵抗の言葉を溶かしてゆく。カナト様がこんな事をする必要はありません、理性が紡ぎ出す制止の言葉は、出血の所為か、或いはその台詞に仕込まれていた甘い誘惑の所為か、口に出す前にほどけて消えていった。

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「おい」
 ぞんざいに声を掛けると、予想に反してあっさりと常磐緑の制服に身を包んだ少年は足を止めた。濃い蒼緑色の前髪の間から、冷ややかな鬱金色の視線が肩越しに返される。振り返るでもなく、ただ視線だけで続きを促す、漣一つ無い水面のようにつんと取り澄ました横顔。
「あんたが庶務の――ケンケンって奴?」
 実のところ、訊くまでもなくカイは目の前の少年が「剣(つるぎ) 剣(けん)」という名であることを知っていた。一号生でありながら生徒会に所属し、更にはこの学園の創設者である鳳凰院一族とも繋がりがある彼は、一部では「水鏡」の二つ名をもって呼ばれる。学園に入学した直後から紲晶石の在処と、学園内の実力者を洗ったカイは、当然ケンについてのある程度の情報も頭に入れていた。
 だから多少からかって、その取り澄ました態度が何から来るものなのか探ってやろうとしたのだが――少年は眉を顰めたかと思うと、突然きっと眦を吊り上げた。と、思うと
「ケンケンなどと気やすく呼ぶな!」
 今までの態度が嘘のような大音声で叫ばれて、カイは一瞬面食らう。なんだ、こいつ?噂じゃ二つ名の通りクールな奴だって話だったろ?
 態度だけは平素と変わらず、けれど内心首を傾げるカイを他所に、こちらに向き直った少年は、更にカイを睨みつけながら続ける。
「この名を呼んでいいのは、」
「――カイ君?」
 台詞の途中で割って入った悠揚迫らぬ声に、何故だかケンが言葉を詰まらせる。聞き覚えのある声の主を誰だったかと一瞬探して、すぐに記憶と合致したカイは、うんざりしながら声のした方を見遣った。
「やあ」
 にこりといつもの人好きする笑顔を浮かべながら、教室から姿を現したのは、生徒会長のカナトだ。カイの入学試験の縁で知り合っただけの仲ではあるが、カイとしては学園中に顔の利く人物にツテがあるのは色々と便利なので、微妙な距離の交流を続けている。
「か、カナト様」
 先ほどまでの態度は何処へいったというのか、体ごと向き直って姿勢まで正すケンとは対照的に、カイは呆れた風に肩を竦めた。
「どこからでも出てくるな、あんた」
「生徒会長たるもの、学園の隅々にまで目を配らないといけないからね。今日はケンケンも一緒なのかい?」
「お、」
 その一瞬口ごもった声が、誰の物なのか最初カイは解らなかった。
「おやめください、そのような、ケンケンなどと……もう子供でもないのですし……」
 少年が困ったように眦を下げた。声からは先ほどまでが嘘のように硬さが消え失せている。語気は確かに困ったように勢いがなかったが、その実嫌というだけではなく、例えるなら、そう――照れのような物が見え隠れする。
 カイはその様子をぽかんと眺めた。口が半開きになったままだったのに気付いて、途中で慌てて閉じる。誰だこいつ?
「いいじゃないか、可愛くて」
 あ、何か今凄いこと言ったぞ、この天然(なのかどうかは知らないが)王子。
「……でも、流石に子供の頃の渾名は嫌か」
「いえ!決して嫌などとは」
 貴方の言葉に嫌な物などあるはずがない、そんな必死さで言い募るケンに、カナトは微笑みかける。
「よし、じゃあこれからは人前で呼ぶのは避けよう。それで良いかい? ――ケン」
 含みを持たせたような最後の間がわざとだったのか、それともただ単に言い忘れを付け足しただけだったのかは判らない。判らないが、とりあえずその声音はケンを直撃したらしかった。
 さっと頬を赤らめるケンを、カイはちらりと横目で見遣る。
 ……こいつは……
「代わりに、ケンも校内では、そういう改まった話し方は止めてくれないかな。学問や修業に関しては、皆平等なんだからね」
「はい、以後……これから気をつけます」
「うん、それがいいね」
 言い直したケンにもう一度笑って、カナトはカイに向き直る。
「さて、今日はカイ君と――そのお仲間に話があるんだ。だからカイ君は僕と来てくれないかな。ああ、ケンは生徒会の方の仕事を優先してくれるかい? 生徒会室は使えないから、ちょっと歩くよ」
「ああ。けど……お仲間?」
「うん、」
 背後からの視線をひしひしと感じながら、既に歩き出していたカナトの後をついて尋ねると、カナトは目元と口元だけを使って笑う。そうして低められた声が密やかに落とされた。
「天ヶ原の彼等に――ね」

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 "Wait"

 今までにも、読みを誤ったとか、失策だっただとか、そんな風に思って後悔したことがなかったわけではない。国での立場を悪くしたのは仕掛け時を誤った所為だったし、このギルドに転がり込んだ当時は、何故寄りによってこんな口の達者な女の所へ、と己の選択を悔やんだ物だった。
 だがそれらはあくまで、吉と出るか凶と出るか不確実な選択だ。ならばたまたま凶を引き当てたのだと納得することも出来ようが、まさか純粋に良かれと思ってやったことを悔やむことがあろうとは思わなかった。
 目の前を塞ぐ白い装甲。
 じりじりとした気分で、ミュルメクスは確かめるように踏み出す。
 右に一歩。
 ウィ…ン。
 左に一歩。
 ウィ…ン。
「……おい」
 重々しい声を作るが、残念ながらこれは目の前の障害物にも、その向こうで作業に勤しむ背中にも通用しない。正確に言うと、後者は最近通用しにくくなった。それでも呼びかけには反応して、ランビリスは実に暢気そうな顔で振り向く。
「何なんだこいつは」
「ああ。ちょっと火薬使ってたから、そっから誰も近づけないようにって頼んだ」
「何もこんな仰々しいことをしなくても良いだろう」
「……いや、だって近付くな、って言うのを無視するのはお前くらいだろ?」
「私は犬猫か何かか」
「お前、待てが出来たのか」
「………………」
「そういうわけで、引き続き頼んだぞ、アクリス」
 ウィィン。
 金属の擦れる音とは違う、妙な音を立てながら姿勢を正すその様が、どことなく誇らしげに見えるのが尚更気に食わない。
 仕事を果たせるのがそんなに嬉しいか?
 ……嬉しい、のだろう。
 そう在ることが存在意義だと教えたのは、他ならぬミュルメクスだった。物だろうが人だろうが、理由のないものは憐れだ。だから動かして、動く理由を与えてやった。
 だからといって、小憎たらしいことに変わりはないが。この障害物め。起動させてやったのは誰だと思ってる。
 もっとも、そんな主張をしてみたところで、起動した人間と作った人間、どちらがより創造物にとって重要な存在かと言ったら、明らかに後者である。言うだけ無駄だ。
 複雑な面持ちで黙り込んでいると、ふと笑う声がした。
「悪かった、言い過ぎた」
 不意を突かれて瞬いていると、更に白い装甲の影から声がする。
「こっちの仕事はもうすぐ終わる。そしたら話し相手になるくらいはしてやるから。機嫌直せよ」
 機嫌を損ねて黙っていたわけではないのだが。ないのだが、最近はそんな緩い約束一つで、困ったことに、反論も不満もゆるゆると輪郭を失って溶けていってしまうのだ。
「……わかった」
 そう応じて、部屋の隅に一つだけ置いてあった椅子に腰掛ける。
 恋は盲目だなどと、何処の詩人の戯れ言かと思っていたが、なるほど確かに。
 躊躇うランビリスの代わりに電源を入れたのも、命を与えたのも、ランビリスを最も優先するよう言い聞かせたのも自分だ。けれどついさっき、ほんの一欠片ほどではあるが、ミュルメクスは確かに、『しなければ良かった』と思ったのだ。電源を入れなければ、命など与えず木偶のままにしておけば、誰の命令でも平等に聞くようにすれば――もちろんそんな考えは間違っていて、一時の情動に流された気の迷いでしかない。
 それを理解しているから、ミュルメクスは気付かれないよう息を吐いた。
 この感情は判断力を鈍らせる。そのうち何一つ正しいこともわからなくなって、狂ってしまうのかも知れない。
 けれど多分、その時にはもうそれすらも幸福なのだ。

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「ファーラさんは、良いお家のお生まれなのですね」
「……そんなことも解ってしまうのですか」
「ファーラさんの生まれ星は、支配者の星に属していますから」
「そう……私の生まれが解るのなら、占星術で未来も見えるのでしょうか?」
「あまり期待なさらない方がいいですよ。……そうですね、ファーラさんの星は……古い血に強い影響を受けます。しばらくは他の星との交差が多くなりますね。それから……軌跡を辿る気配が」
「軌跡?」
「既に示された運命、用意された道……或いは誰かの後を追うことだと言われています」
「それは……少し、残念な気もしますわ。用意された道からは、逸れてしまったつもりだったので」
「気になさらないでください。私の星詠みは、当たりませんから」

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「これは一番の、って意味。悪い方には使わなくて、良い意味にだけ使うよ」
 うぃん。
「こっちは『蛾』。蝶々に似てるけど、蝶々とは違って、触角に毛が生えてるでしょ?あと蝶々は昼に飛ぶけど、こっちは夜飛ぶ方が多いかな」
 うぃん。
「で、こっちは「お母さん」って意味。えっとね、子供を産むにはお父さんとお母さんが要るけど、生んでくれた方がお母さん。あとはその意味もかけて、……うーんと、自分が育った場所とかに向かって使うこともあるかな……」
 ……うぃ……ん。
「あっははダメ。ダメだよタンジェリン。音が困ってるじゃん。教え方下手なんじゃないのー?」
「うるさいなぁ!じゃあツツガが教えてよぉ。私だってピンと来ないけど、どうやって教えたらいいかわかんないんだもん」
「えー?やだよぉ、わたしも良い教え方なんてわかんないし。でもさ、タンジェリンの教え方って、言葉の意味を教えてるだけじゃない? もうちょっと、身近なとこから教えないと役に立たないでしょ」
「身近って言われても」
「だから、説明するんじゃなくて、実際使うとかして示してみれば? って。さっきのヤツなら、「このギルドでタンジェリンは『一番』剣の扱いが上手い」とかね」
「えへ、煽てられても。……うーん……身近な例かぁ」
「そうそう」
「あ、じゃあね、アクリスにとってお母さんに当たるのは、ランビリスさんだよ」
 うぃん。
「…………なにそれ。ていうか今反応しちゃったよね?」
「え?何か変?」
「変って言うか……お父さんじゃないの?そこは」
「えー、でもランビリスさん、深都で貰った設計図で組み立てた、って言ってたし。で、深都の人も設計図は世界樹から教えて貰ったって言ってたんでしょ? そしたらお父さんは世界樹で、お母さんはランビリスさんかなー、って」
「うーん、理屈はぜんぜんわかんないけど、そこはやっぱりお父さんじゃないかな……」
「そうかな」
「そうだよ……お前もさ、喋れるようになったら、お父さんって呼んであげな? お母さんじゃだめだよ?」
 ……うぃん。

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2010/06/22

「私ね、ゼオが貴方みたいな人をギルドに入れたのが、不思議だったの。
 でも解ったわ。彼は見誤ったのね。貴方が求めてる物を」

「貴方が求めてるのは、迷宮じゃない。
 でも彼が求めているのと同じくらいの強さで、貴方も求めてるんでしょう?」


「死に場所を」


 その通りだった。
 詰るでも憐れむでもなく、淡々と事実を指摘する声音の魔女の言は限りなく正鵠を射ていて、反駁の余地がない。
――ただ、コーディは思う。少しだけ訂正するならば、欲しかったのは死に場所ではなく、死ぬまで過ごす場所だった。
 この呪いを紡ぐ喉を使い続ける限り、自分の命が長くはないだろう事は解っていた。勝手に呪いを紡ぐ己の喉も、削られてゆく命脈も、昔は酷く戦いたり足掻いたりしたこともあったような気がするが、随分前から恐ろしいとは思わなくなっていた。
 それは多分、受け容れてしまったから、なのだと思う。
 何かに抵抗するためにはエネルギーが要る。認めてやるものかと、反抗するだけのエネルギーが。何かに逆らおうというのだから、当然抵抗するというのは苦しい。だから、抵抗してやろうという意思を保ち続けるための気概もいる。
 コーディも多分、最初はそうだったのだ。けれどどうあっても動かない現状にいつの間にか疲弊して――大事なその二つを擦り切らせてしまった。そうして抵抗を止めてみれば、後は楽だった。
 ……死にたくなったわけではない。けれど、どうあっても人はそのうち死ぬのだ。コーディは己の業の所為で死に至る。それはもはや決まり切ったことで、あまりに当たり前すぎて、――だから諦めた。諦めればひどく簡単に笑えるようになったのは、皮肉だったかも知れない。
 だが、そんな諦観ばかりを抱えた精神にも少しの欲はあったらしい。都合のいい場所を探して選んだここが、予想以上に居心地が良く、――だから、もう少しだけ、まだ役に立てるから、そんな風にして引き際を誤った。
 否、誤っただけなら良かったのだ。
 たとえ彼等の目の前で自分が命を落とすことになっても、このギルドは進むのを止めないだろうし、コーディ自身は彼等の悲しみなんて見なくて済む。

 けれどコーディはどういうわけか、こうして生きている。
 否、理由は解っているのだ。
 巡らせた視線の先、ベッドサイドのテーブルの上には砕けた鈴が乗っている。――多分、あれが傷をいくらか吸ってくれたのだろう。敵が思ったよりも弱っていたのも良かった。それから、今ベッドサイドに俯いて座っている彼も、尽力してくれたのだろう。
 そうして生かされたのだ。死ぬ気はなかったが、生き続ける気もなかった自分が。

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2010/06/20

「一つ忠告しようか。ハウスキーパーでもただの野次馬でもなく、ドクトルマグスとして忠告するわ。
 あなたは行かない方がいい」
「……んなわけにはいかないさ」
「そう。でもね、行けば、さよならすることになるよ」
「……誰と?」
「ここのみんなと」

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 こういう言い方は非常に不本意なのだが。
「……確認するけど、俺は一遍お前を振ってるよな?」
「……そうなるな」
 それには多少思うところがあるのか、僅かな間をもって発された返答に、ランビリスは密かに安堵の息を吐く。この前の一件で、どうやらこの王子様には多少ずれた、というか欠けたところがあるらしいことが解ったので、もしかして振られたことさえ解っていないのでは、なんて疑念に駆られていたのだが、そういうわけではないらしい。
「なら、望み薄の薹の立った男に執着するより、もっと若い女の子でも見つけようって思わ、な……」
 言いながら気付いた可能性に、思わず語尾が途切れがちになる。
 ――差別するわけではないが、仮に男にしかそういう興味がないのだったら、これはデリケートな問題である。あまりとやかく言うべきではない。
 おそるおそるミュルメクスの方を伺うと、こちらを注視している深い青の視線と眼があった。何故かふとその視線が緩む。
「――嫉妬などせずとも、男を好きになったのはお前が初めてだ」
 何か今とんでもないことを聞かされた気がする。いや、気がするだなんて言い方で現実逃避している場合じゃない。
「いや、今のはそういう意味じゃなくてだな……!」
 慌てて言い募るが、ミュルメクスの微笑は深まってゆくばかり、むしろ微笑の域を抜け出て完全な笑いになっている。
 そこでようやく気付いた。
「解りにくい冗談は止してくれ……」
 どこまで本気でどこまで冗談だったのかは解らないが、とにかく自分は遊ばれている。息を吐いて半分乗り出すようだった姿勢を正すと、ミュルメクスもようやく真面目に答える気になったのか笑みを引いた。
「まあ、今はお前以外に眼を向ける気にならないというのもあるが、」
 ……今度はどうやら本気らしい。頭痛がしそうだ、とランビリスは思う。いや、実際はまったくそんな兆候はないのだが、気分として。
「エフィメラは美しいだろう?」
「……は?」
 脈絡のない発言に、ランビリスは思わず問い返すが、ミュルメクスはそれ以上語る気はないらしい。
「あー……それはつまり、」
 美女は見慣れている、という事だろうか。
 確かにあれ以上の美人はなかなか居ないが。いやそうじゃなくて。
「いや、女を選ぶ基準は見た目だけじゃないだろ?」
「そうだな。見た目で選ばなくて良いなら、性別で選ばなくても良いと思わないか」
 王子様は色々な意味で格が違った。
 まさかそう返されるとは思っておらず、言葉に詰まったランビリスが反論を模索するのを、ミュルメクスはうっすらと笑みを浮かべて眺めている。ランビリスは、些か複雑な気持ちで、意地とたちの悪いそれを睨んだ。
 こんなやり取りをするようになったのは、ごく最近のことだ。あの一件があって、ランビリスが少しはまともな受け答えをするようになり、ミュルメクスがランビリスの反応を意識するようになり、
(……前より笑うようになったんだよな、こいつ)
 ランビリスが以前よりミュルメクスの様子を気にするようになった所為もあるにはあるのだが、それでも確実に頻度が上がった。どうも情緒面に関して問題のあったミュルメクスのこの変化は、喜ばしいものではあるのだが。
(それでも、どうもその原因が自分だってのはなぁ……)
 自分のやったことが、彼を良い方向に変えたというならそれは構わない。構わないが――どうにも今の状況は、ランビリスが居てこそのものではないか、という気がするのだ。
 もし、ランビリスがミュルメクスを好いていて、一生とは言わないまでも、長く彼の傍にあることが出来る、というのならばそれでも構わないのかも知れない。――だが現実はそうではない。
(荷が重いよ、俺には)
 だから――本当に、自分以外の誰かを、好きになってくれれば、良いのだが。

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「それが容認できないと言っているのです!」

 苛烈なアクアブルーの眼を至近で見つめ、グロッシュは唐突に、笑いたくなった。
 自嘲ではない。ただ、その、眼の烈しさと一途さが。
 可愛い、なんて言ったら怒るのだろうけれど。
 それも面白いかな、と思いながらグロッシュはふ、と肩の力を抜く。痛覚刺激は断じて受け容れられないが、まあ、沸騰しそうな彼女の気が済むなら、一発くらいは。
「かわいーなぁ、あんた」
 ふと漏れた呟きに、襟首を掴んだ手が、一瞬緩んだ。瞳の苛烈な色が僅かに薄れて、思い切り寄った眉が少しだけ開く。それを見たら本当に変に浮かれた気分になって、するすると妙に素直に言葉が漏れた。
「そういうトコ、嫌いじゃない」
「なっ……!」
 今度はいきなりぎゅ、と襟が閉まる。げ、と思ったのも束の間、いきなり突き放すように開放されて、グロッシュは一瞬よろめく、が別にさほど長く締まっていたわけでもないし、押されたときの力も強くはなかった。一瞬足下をふらつかせたものの、転ぶには至らない。
「そんな……そんな誤魔化しは聞きたくありません」
「本気だぜ?」
「ふ……っ」
 巫山戯るな、と続く怒声を覚悟していたのだが、声はそれ以上続かなかった。
 ともすれば吹きだしそうになる感情を飲み込むように、彼女は拳を握り、俯いて口を引き結ぶ。少し時間が掛かったが、怒らせていた肩がすとんと落ちた。
「貴方がそんなやり方をする人だとは思いませんでした」
 それ以上は何も言いたくない聞きたくないというように、グロッシュの返答は待たず、ユーディアは踵を返して戻ってゆく。


 その後ろ姿がすっかり小さくなってから、グロッシュは大きく息を吐いて、空を仰いだ。
「……あー」
 無意味に声を出す。
 揶揄われた、と思ったのだろうか。
 揶揄われた、と思ったのだろう。
 そう思われるのも当然だろう。思われるだけの態度を取っていた自覚はあるのだ。
 今回ばかりが本気だったところで、今更本気だ、と言えるはずもない。
「……損な性格」
 それが自分へ向けたものなのか、彼女へ向けたものなのかも解らないまま、ぽつりと呟いてグロッシュは自嘲する。
「……ま、自業自得か……」

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「疲れたか?」
 ぷかりと金色の月を浮かべる空の下、甲板に寝そべった少女にカラブローネは近付く。
 船旅には慣れているはずだったが、流石に今日のような大物とやり合ったのは初めてだろう。

 船の横面に叩きつける波、船底を持ち上げる勢いで暴れる異形の体躯。立っているのさえ難しい船上に、少女の声に応じて呼び出された、黄金色の毛並みの巨躯。

 あの見事な毛並みの獅子の咆吼は、異形の動きでさえ制してみせた。少女が獣を呼び出すのは何度も見ていたが、あれを喚び出したのを見たのは初めてだ。つまりは、それだけ大技だったのだろう。
 もしかしたら寝ているかも知れない、途中でそう気付いて足音を立てないようにして近付いたのだが、予想に反してあと数歩、というところでぱちりと少女が眼を開く。闇夜の中でうっすら光を弾く瞳がこちらを向いて、喜びに輝いた。
「カラブローネ!」
「んなとこで寝てっと風邪ひくぞ」
「寝てないよ。力を還してる」
「……還すゥ?」
 そうだよ、とカラブローネの胡乱な視線にも気分を害した様子もなく、蛮族の血を持つ少女は寝転がったまま、月を見上げる。
「力は、自分の中にあるだけじゃなく、周りからも借りるの。でもそうすると、自分の中に色んなものが溜まりすぎて何も入らなくなっちゃう。だから、いっぱいになる前に地面に力を還してあげる」
「はーん。喰って出すみてぇなもんか」
「かもしれない」
「それと寝っ転がってるのとどういう関係があんだ」
「地面に触ってると、力還しやすくなる。寝転がって、思い浮かべるの。
 最初は種で、芽が出て、葉が出て、白いつやつやした肌がだんだん緑になって、茶色になって硬くなって、深く深く、世界樹みたいに深くまで根を下ろす。
 深く深く。地面の一番深いところ……」
 言いながら、少女はうっとりと目を閉じる。
 そうしている彼女は、確かに眠りや休息とは違った空気を纏っていたが、カラブローネには彼女の言う感覚はさっぱり解らない。ただ、少女の言うことはいつもこんな調子だし、寝言や幻覚の見せる世迷い言にしては妙に説得力があるから、星詠み達が星空を観て得体の知れない何かを読み解くように、少女にだけ見える何かがあるのだろうと思っている。
「でも、ここにゃ土はないぜ」
「うん。だから、海の上にいるときは鯨になる」
 鯨ねぇ、とカラブローネは呟く。樹といい鯨といい、何か大きなものになるのを想像すればいいということだろうか。
 首を傾げるカラブローネを他所に、少女はおだやかに語る。
「大きな大きな魚。船の周りをゆっくり回って、ゆっくりゆっくり、海の底に下りていく。
 水色の水が青くなって、黒になって、……光るクラゲの横を通って、ゆっくりゆっくり、海の底まで……
 砂地の底の、もっと奥まで……大きな力の源まで……私はその周りをゆっくり回る。そうすると、だんだんそれに引き寄せられて、ゆっくりゆっくり、深くまで取り込まれてく……そうして世界と一つになるの」
 ふわり、と開いた少女の焦げ茶色の眼に、ぼやりと金色の光が映り込む。――深海に住むという、発光する魚たちの光の色。
 思わずぎょっと眼を見開いたカラブローネを、不思議そうに瞬いて少女が見上げた。――何のことはない、少女の瞳に映り込んでいるのは、今は天頂近くにある月の光だ。
 そう、何のことはない。彼女はただの蛮族の少女で、人買い商船に攫われて異国の地に連れてこられたあわれな娘だ。それだけだ。彼女はこの世のものではない獣を喚ぶが、彼女自身は人以外の何者でもない。
「……わかったから、終わったらさっさと部屋戻れ。いいな」
「うん。……カラブローネも一緒にやる?」
「やらねぇよ」

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2010/06/16
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