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2024/09/24

 ひりりとした痛みが皮膚を走った。まずい、思考よりも先に脳が警鐘を鳴らして、咄嗟にその場から後退しようとする。――が、もう足が動かなかった。傷口に走った痛みはいつの間にか強い痺れに変わり、傷口から血液に乗って瞬時に全身を駆けめぐる。抵抗すら間に合わない速さで回った毒は神経を侵して、脳の、手への、足への、正常な伝達を遮断する。誰かの声が途中で途切れた。呼吸が出来ない。目の前が真っ暗になる。視神経がやられたのだと理解する前に、ぶつりと意識が途切れた。

 
 眼が痛い。たまりかねて数度瞬いてから、視界が酷く不鮮明なことに気付く。目を眇めて焦点を合わせる。桑染色、唐紅、肌色、その背景に鈍い灰色。
 視界と共にじわりと戻ってきた思考が、ようやく見ているものを認識しはじめる。ああ。人の顔だ。
「私が解るか?」
 解ります。解りますとも。答えようとした舌が縺れそうになるのを何とか動かして、ヤンマは主の名を呼んだ。
「……アキツ、様」
 まだ譫言のような声しかでなかったが、意識が在ることに満足したのだろうか、アキツはヤンマを覗き込んでいた姿勢から身を起こし、傍らへ座る。
 口の中には、覚えのある酸味が残っていた。自分は一体どうしたのだったか、と記憶をたぐって、今の状況が腑に落ちた。
 そう、あの刃に塗ってあったのは石化の毒だった。自分はそれを受けて倒れて、――それからどうしたのだろう。
「……追い剥ぎ共は」
「散らした」
 素っ気ない返答を聞きながら、それはそうだろうとヤンマは思う。見たところ拘束されている様子もないのだから、少なくとも撃退したに違いない。
「お怪我は、ありませんか」
「大したことはない」
 ない、と言わないことは多少はあったのだろう。一体どの程度のものだろうか。これからの道中に支障はないか。確認するために身を起こそうと、肘を立てる。――が、つい先ほどまで活動停止していた体は未だ本調子ではないらしく、思ったように力が入らない。
 四苦八苦しながらようやっと上体を起こすと、榛色の瞳が無言でこちらを注視しているのに気付いた。ああ、だかうう、だか解らない呻きを漏らして、ヤンマは気まずげに視線を逸らす。こんな状態で怪我を見せろだなど、まったく順番を間違えている。
 居心地悪く膝を抱えていると、ぽつりとアキツが口を開いた。
「お前こそ、解毒薬は効いているのか」
「へ?……効いてますよ。ちゃんと動きます」
 あげた右手を閉じたり開いたりしてみせる。本当は未だ指先の感覚が鈍いが、回復が遅いとは思われたくなかった。それをしばらく見つめて、ふとアキツは息を吐く。微かに眉根が緩んだように見えたのは気のせいだろうか。
「……以前、毒を、効くと思うなら試せばいい、と言っただろう」
「言った……かも知れませんけど。……いや、残念ですけど効きますよ。人間ですから」
「そこまでは求めておらぬ。……もし解毒薬まで効かねばどうすればいいかと案じていた」
「……効きますよ。今回の毒だって、効いたでしょう」
「そうだな。……効くのならいい」

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 ゆらりと顔を俯かせたまま、はは、と娘が笑った。
 薄汚れた梔子色の裾と袖を縫い止められたままだというのに、場違いにも笑って見せた娘の反応に、男は僅かにたじろいだようだが、突きつけた刃も圧し殺された殺気も揺らぎはしない。
「残念ですが、こちらは信用商売でございます。一度受けた仕事は幾らお金を積まれようとも動かしませんし、爪が剥がれようが指が落とされようが、依頼主様との決め事は絶対に破りません」
 ようやく間諜としての本性を現した娘の声は、落ち着いて低い。
「聞き出す方法なぞ幾らでもある。――下の里には薬師が居るでな。体に溜まる毒も、意思を無くす薬もたんとあるぞ」
「我等草屈に効くと思うのならば、試してみるのもよろしいでしょう。ですが、――俺から何かを聞き出せるなんて思わない方がいいですよ」
 唐突に口調が変わった。否、口調どころか声さえ変わる。
「俺は、俺を裏切ることが出来ます。でも里を――主命を裏切ることは出来ません。それくらいなら、」
 ふと娘――否、少年が顔を上げた。垂れた黒の前髪の間から覗く睨むような視線、背筋を走った悪寒。刹那、視界の端にちらりと落ちた影に反応して、反射的に振り向きざまに斬り払う。
 仲間すら切り捨てても構わないとでもいうのか、上段に刀を振りかざしていた人影は、眼にも止まらぬ一太刀を受けて声もなく崩れ落ちた。その見開かれたままの紺の瞳にふと違和感を感じる。――苦痛を映さない瞳、見たことのある――そう、この娘の姿をしたシノビと同じ色。
「陽炎……!」
 嵌められた。返す刀で斬りつけるも、間一髪縫い止められたままの梔子色の袖を引きちぎって少年は跳び退る。
 嵌められたことで逆上した男は、だから気付かなかった。
 すっぱりと抵抗無く二つに断ち切れた少年の輪郭が歪んで、幻のように溶け消えた、その影に潜んでいた者が居たことに。その人物がおもむろに低めていた身を起こし、一瞬で抜刀したことに。
 更に追い縋ろうとした瞬間、――頭部に強い衝撃を受けて、男の意識は落ちた。

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「……この前、来ないでくれ、って言ったよな」
「私がどこで何をしようと私の勝手だ。指図される謂われはない」
「お前な、」
「だが、……お前が嫌だというなら、帰る」
「…………」
「……」
「待てよ。……椅子、隣の部屋だ。使って良い」
「……!」
「おとなしくしてろよ」

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 するりと回された腕が解かれる。すぐ傍にあった体温が離れてゆく。
 ソファが軋んで、彼が立ち上がる気配がする。それに伴って離れてゆく腕――それが去り際に、静かな仕草で頭へと置かれ、くしゃりと一度、ミュルメクスの髪を掻き回した。
「おやすみ」


――その声音を思い出しながら、ミュルメクスは寝返りを打つ。
 逆さまに視界に入った窓のカーテンは開け放たれたままになっており、南国の星達が淡く、或いはギラギラとそれぞれの強さで光っているのが見えた。それらを掻き消さんばかりに皓々と西の空に君臨している月が眩しい。星詠みではないミュルメクスには、南の空の星などはほとんど解らない。だからこうして眺めたところで、人の運命どころか明日の天気すら解らないのだが、彼は窓枠に半分かかった月を見上げて、眼を細めた。
 おやすみ、と言われたが、一向に眠りの気配は訪れない。
 あの後彼は家まで無事に帰り着いただろうか。月はまだ天頂近くにあっただろうから、さほどの心配は要らないとは思うのだが。
 それとも送っていけば良かったのだろうか、そこまで考えて、息を吐いた。
 浅はかだ、と心中で呟く。そもそもそんな申し出はランビリスは受け容れないだろうし、話すことすら見つからない、気まずい時間を過ごすだけだ。そう、――何か伝えたいことがあったなら、引き留めてでも告げていた。
 否、伝えたいことならあったのだ。あったはずなのだが、言葉にも形にもならなかった。
 掴めそうで掴めない「それ」の正体を探すことに飽いて、ミュルメクスは目を閉じる。
 月明かりをうっすらと瞼に感じながら、ランビリスの言葉の意味を考えた。
 ミュルメクス自身は、ランビリスを薄情だなどと思ったことはない。
 けれど彼自身は負い目に感じるようなことがあったのだろう。その負い目が耐え難く、それを重ねることを恐れて、好きになるなと主張した。
 けれど、ミュルメクスは彼が一体何にそれほど気にしたのか解らない。解らないのだから、自身にとっては些細なことなのだろう。ならば、ランビリスも罪悪感など感じることはないのだ。だから好きになってはいけないだなどと、そんな言い方をする必要はない――ない、はずだ。
 だが、ミュルメクスは思う。本当にそれだけだろうか。
 ふと、らしくもなく卑屈な考えが脳裏を掠める。忠告のような言い回しで、ランビリスは本当は――ミュルメクスを遠ざけたいのではないか?
 ランビリスが、この想いを歓迎していないことくらいは知っている。はっきりと口に出されたのは今日が初めてだったが、それに気付かないでいられるほど、ミュルメクスは鈍感でも傲慢でもなかった。
 けれど、それでも構わなかったのだ。
 ……苦しい。
 思考ではなく感覚でそう思って、ミュルメクスはぼんやりと目を開く。どこが、とは言い表せない。例えるなら、胸腔の奥が。呼吸は正常で、部屋の空気にも先ほどと変じたところは何もない。なのに胸苦しい。
 思考や呼吸を奪うほどではなく、それでも無視することは出来ない程度には、胸を圧迫するそれ。
 どこか覚えのある苦しさに記憶を探り、思い当たった瞬間思わず嘆息した。
 ああ、そうだ。
 これは、彼の体温を感じた瞬間、溶けて消えた痛みと同じだ。
 結局胸苦しさから逃れる方法が見つからずに、ミュルメクスはゆっくりと深呼吸をして――それでこの苦しさが解消されるとも思えなかったが――眼を閉じた。
 瞼の裏に睡魔の姿を願いながら、ミュルメクスはランビリスの言葉を――それからあの体温の名残を探そうとする。
 微かな、けれど確かに安堵にも似た幸福感をもたらした行為。
――与えられる温度が欲しかった。
 奪うのでもなく、感じるだけでもなく、与えられる温度が欲しくて仕方が無い自身をようやく自覚する。
 こちらを向いて欲しい。言葉を交わして、抱き締め返して欲しい? ランビリスの言葉を反芻する。そうして言葉にされた一つ一つの意味を理解する度に、自身の求めているものが明らかになってゆく。
 簡単なことだった。
 彼にこちらを向いて欲しい。言葉を交わして、彼を抱き締めて、抱き締め返して欲しい。そして皮肉なことに、ミュルメクスがそうしたいと願うのは、受け容れられないと言ったランビリスだけなのだ。求めるのは彼だけだった。彼以外は欲しくない。受け容れられないのだとランビリスは言った。なのにもっと彼の言葉が欲しい。
――これが心が欲しいということなのだろうか。
 今まで抑圧しきっていた欲求を、ようやく自覚したミュルメクスには、そこまでのことは解らない。解らなかったが、一つだけ確かなことがある。
 ランビリスの言ったことは、受け容れられない。
 忠告も主張も、何一つだ。これだけ渇望する願いを自覚してしまったのに、己の想いを封じ殺すなど、とても出来そうにない。

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「……俺はその気持ちを返せないけど」
 言いながらランビリスは、ここ数ヶ月の出来事を思い出していた。いつもは無抵抗と言うよりは無反応なランビリスをミュルメクスが勝手に抱き締めることしかなかったから、丁度逆転した今の構図は妙な気がして落ち着かない。
 思い返すには実に今更だったが、ミュルメクスに抱きつかれるときは、背中側からであることがほとんどだった。それはランビリスが何かを読んでいたり作業をしていたりで、目の前が塞がっていることが多いというのも理由の一つなのだろうが――まるで、抱き締めた後に自身の背中に回される腕を想定していないようで、勝手な想像ながら――勝手な想像、であって欲しいが――どこか痛々しい。
「こっちを向いて欲しい、話して、抱き締めたら抱き締め返して欲しいって思って良いんだよ」
 真後ろから腕を回したから、当然ランビリスの位置からは、ミュルメクスの表情は見えない。彼が何を考え、どう感じているのか推し量る方法がない。彼はこんな位置から自分のことを見ていたのだと思った。
「心には心を返して欲しいって思って良いんだ」
 偉そうなことを言うが、心を返すどころか、受け容れることも、はっきりとした拒絶を示すこともせずに、ただふらふらとかわし続けてきた自分は不実もいいところだ。中途半端なことばかりしている自覚はある。この抱擁ですら、ミュルメクスの気持ちを受け容れた故のものではない。だがこうでもしなければ、ミュルメクスは己の中に巣くう空虚さに気付かないだろうと――そう思ったのだ。
「だから、」
 そこで一度言葉を切って、間違いの無いようにはっきりと言葉を紡ぐ。
 告げなければならない。そうでなければ、きっとお互いをすり減らすだけだ。
「俺みたいな薄情な奴を好きになっちゃいけない」

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2010/06/11

 き、と背後のソファが控えめな軋みを上げる。――肩口に落ちた髪がかき分けられるような感触。不審に思ったミュルメクスが顔を上げるよりも、背後から伸ばされた腕が胸の前で緩く交差される方が早かった。そのままごく軽い力で後へ引かれる。それから後頭部にささやかに――衝撃と呼ぶにはあまりにささやかに何かがぶつかった。
――背後から抱きしめられている、と気付くには、少し時間が必要だった。
「……なぁ」
「――っ」
 頭のすぐ後で聞こえた声に動揺する。求めていた声がすぐ傍にある。そう意識しただけで、重く凝ったようになっていた胸に熱が宿った。それは瞬く間に痛みも息苦しさも駆逐して、今にも火を噴きそうに赤く光る熾火となり、胸の奥に潜む。
 どうして、という疑問よりも、回された腕の熱の方がよほど鮮烈だ。勝手にそちらへと引かれそうになる思考をかき集めて、ミュルメクスは何とか疑問を紡ぐ。
「どういう……」
 つもりだ、までは上手く言葉にならなかった。それで意図が通じたのか通じなかったのか、ランビリスは小さく声を上げて笑っただけだった。
「――こうしてると温かいだろ?」
 言われて、僅かに遠のいていた腕の熱をもう一度意識する。――温かい。多分、実際の温度以上に。
「お前は俺が気持ちを返せなくても構わないって言うが、そんなのは寂しいだろ」
 そんなことはない、と反駁しようとして言葉に詰まる。先ほどまで胸を蝕んでいた胸苦しさの名は一体何というのか、ミュルメクスは知らない。
「……そんな、ことは」
 乱れた心では、例え一時の誤魔化しだとしても、ない、と言いきることができない。不安定に消えた語尾では、まるでランビリスの指摘を肯定しているかのようだ。違う。そうではないのだ。
「お前が居るのに、寂しさなどあるわけが、ない」
 いくらか滑らかに動くようになった舌でそう言うと、ランビリスが息を呑むのが解った。けれど驚きはすぐに戸惑うような気配にかわり、彼は溜息のような言葉を紡ぐ。
「……お前はもっと誰かを欲しがって良いんだ」
 その声音には、何故だか哀しげな色が混じっている。ミュルメクスには、彼の悲哀の理由は解らない。解らないが、自分に向けられた言葉に宿る感情の色を認めた瞬間、ぽつりとまた胸中に名状しがたい感情が生まれる。
「……私はお前が欲しいが?」
「そうじゃない。その、……体だけの話じゃなくて、」
 そこまで初心なわけでもあるまいに、自分のことになると気まずいのか、僅かに躊躇う様子を見せながらランビリスは語る。僅かにうつむき加減にそれを聞きながら、――唐突に、愛しい、と思った。
 彼が愛しい。幾ら寄り添っても、幾ら求めても、きっと足りないと感じてしまう。そんな予感を覚えるほどに。

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2010/06/11

「俺は何一つお前に気持ちを返せないのにか?」
 瞬間、胸中にわき上がった感情があって、ミュルメクスは瞬いた。
 何故、と自問する。
 今この場面で、心が動く理由がまったく思い当たらない。戸惑いながら突然宿った感情をたぐり寄せようとするが、正体を探り当てる前に、それは溶けるように消えてしまった。
 後には痛みだけが残って、ミュルメクスは心中で首を傾げた。短く、だが重く鈍い痛みを残したそれが一体何だったのか解らないまま、問いの意味を考える。
 彼は何故そんなことを問うのだろう。
「お前がどう思うかと、私がどう思うかは別の話だろう?」
 ミュルメクスが彼を好きになるのはミュルメクスの自由で、それに対してランビリスが何を思うかも彼の自由。それを制限する気もさせる気もない。
 そのはずだ。
 少なくともミュルメクスの中で、その両者は完全に切り離されている。

(だから投げかけた声に想いに、何も返ってこないことは、悲しむことではない。)
(初めから期待などしなければ)
(求めたものが得られない、苦しさも痛みも)
(何も)


――その、はずだ。
 どこか白茶けたような沈黙が流れ、やがて、ふ、と背後で大きな溜息が聞こえた。
 次いで、長椅子の軋む音。視界の端の影が床まで伸びて、ランビリスが立ち上がったのだと解る。
 ああ、と微かに嘆息が漏れた。
 話は終わった、そういうことなのだろう。
 引き留めたかったが、そうすることが相応しくない事も解っていた。振り向くことも出来ず、ミュルメクスは目を閉じる。今彼を視界に入れたら、きっと待ってくれと手を伸ばしてしまう。行かないで欲しいと縋ってしまいたくなる。――けれどそうしたところで、伸ばした指は拒絶に遮られてしまうのだろう。
 例えば、とミュルメクスはあえて思考を散らす。手折った花は、そうでない花よりも早く凋れる。幾ら水を換えても、風から守っても、やがては枯れて朽ちてしまう。そういうものだ。無理をして手に入れても、害す結果にしかならないことのほうが多い。
 ミュルメクスは無理矢理距離を縮めようとして、そして二人の間にあったものは壊れた。だからあの夜も――今も、ランビリスが拒絶するのは仕方のないことなのだ。
 そう意識した瞬間、胸が軋む。――無論、実際に軋んだわけではない。だが軋むと形容するのが相応しいこの痛みは何だ。胸を侵してゆく毒のような、この苦しさは。
 ミュルメクスにはこの感情の正体も、どうすればこの痛みが癒されるのかも解らない。
 こつ、と背後で靴音が聞こえて、胸苦しさは一層強くなった。
 堪えるように俯く。こつ、と着実に移動してゆく足音と、僅かに軋む床。
 三歩目の足音を無意識に耳で追って、――何故かいつまでも訪れない音に、ミュルメクスが怪訝そうに瞬いたときだった。

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2010/06/10

 背中合わせに置かれた二つのソファ、その対角に腰掛けて、ランビリスは足下の床を見つめる。 
 長椅子の端と端、向こうとこちら側の距離を選んだのは、顔を見られたくなかったのと――そんな距離でもなければ、落ち着いて話が出来そうになかったからだ。まったく、自分から会いに来ておいて意気地のない、と呆れ気味に心中だけで呟く。
「……今、時間いいか?」
 空いているだろう時間を見越してやってきてはいたが、確認のために問いかけると、よほど驚いていたのか常よりも僅かに上擦った肯定が返ってきた。
 しばし落ちる沈黙。
 なんと伝えるべきか考えていたはずの言葉は、実際に交わした短いやり取りのうちに吹き飛んでしまっていた。仕方なくいくつかの言い回しを考えようとして――結局何も思いつかず、ランビリスはただ、思っているままを口にした。
「……今まで、はぐらかしてて悪かった」
 口にすれば、今までふわふわとつかみ所のない靄のように、判然としなかったそれが、はっきりと罪悪感という形をあらわす。
 謝罪の言葉はゆっくりと沈殿して、再びその場に沈黙が満ちる。
 だが、その沈黙は先ほどのものとは少し性質が違っていた。
「……何の話だ?」
 場に僅かに混じった戸惑いの気配。空惚けているのでも、暗に不実を責める皮肉でもなく、ただ純粋に思い当たることがない、という声音。
 それをしっかりと聞き届けて、ああ、とランビリスは無音で嘆息する。足りなかったピースが一つ、ぴたりとはまったような感覚。
 ふとした瞬間に感じていた違和感の正体。
 そういう、ことか。
「……お前からの気持ちに対する答え」
 それが何なのか気付いた後では、どうにも意味のない問答に思えたが、言わなくてはならない。そう解っていても、それを口にするのにはやはり、少しばかり勇気が要った。
「俺は、お前を、好きになってやれない」
 言い切って、無意識に肩に入っていた力を意識して抜く。返答を聞いたミュルメクスが一体どんな表情をしているのか――それはお互い背を向けたこの位置からでは到底解らなかったが、
「そうか」
 悲嘆も憤怒もなく、至極落ち着いた声。
「それでも私はお前が好きだ」
 諦めきれない、というニュアンスは含まれていなかった。こちらの答えなど一顧だにしない、聞きようによっては傲慢とすら取れる告白。不自然なほど静かなそれを流すことも受け容れることも出来ずに、ランビリスは目を伏せる。
「お前が俺に求めてる事って何だ?」
「……何も。そこにいてくれ。それが望みだ」
「俺はお前を愛してなくて、俺は何一つお前に気持ちを返せないのにか?」
 ふと、相手の気配に怪訝そうな色が混じった。
 戸惑い、というよりは疑問に近い気配。
「お前がどう思うかと、私がどう思うかは別の話だろう?」
 疑いもなくそれが当たり前、そう思っているのだとはっきりと解る答え。
 決定打だ、思ってランビリスは目を閉じた。
 相手の気持ちが得られなくても、こちらの気持ちは冷めない。そういうこともあるだろう。けれどミュルメクスのそれは違う。
 彼は、与えた感情への応答を求めていない。
 多分、そういうことなのだろう。好意の応酬を意識しない。一方通行のままで構わない。
 だから彼はあるところではとても寛大だ。そしてひどく傲慢でもある。
 無償の、と形容するには病的な在り方。
――そしておそらく、彼本人はその歪さには気付いていないのだ。

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2010/06/09

 二度目の傷には、痛みなど無いはずだった。
 そんなものを感じる場所は、とっくに麻痺しているのだから。





 いつもならば宿泊客の数人はいるはずのロビーには、今日に限っては珍しく人影が見えなかった。既に探索帰りの冒険者達も宿や拠点へ引き上げてゆく時刻だ。ここアーマンの宿も外から見る者が在れば、ほとんどの部屋に煌煌と明かりが灯っているのが見えるだろう。
 どうやら少し時間を外した、と思いながら、ミュルメクスはソファの端に腰を下ろす。人の話し声でも聞けば少しは気がまぎれるかと思ったのだが、どうやらほとんどの客は自室に引き上げた後らしい。あてが外れはしたが、会話したい気分ではなかったから、居ないなら居ないで構いはしない。
 ふ、と息を吐く。勝手に漏れた溜息は、予想外なほど虚ろに重たく、ロビーの床に沈んでいった。
 部屋にいても特にすることもないので下りてきてはみたが、そうしてみたところで、結局手持ち無沙汰なのは何も変わりはしない。
 武具の手入れには飽きたし、何か趣味事でもやるにしても――例えばありきたりに読書だとか――長旅を越えてきた身はその手の道具を持ち合わせていなかった。かといって路上にいるのは酔漢ばかりのこの時間帯、あてもなく街に繰り出せるほど、自身が街の歩き方に明るくない自覚はある。
――いつもなら、
 ふと脳裏を掠めた思考を、ミュルメクスは形になる前に頭を振って追い払った。この思考は、あまりにも不毛だ。
 解っているのに、考えまいとするのとは別の場所が耳元で囁く。
 あのまま彼の望む『距離』を保っていれば、『いつも通り』で居られたのに――と。
 ミュルメクスはまるでどこかが痛んだように眉を顰める。力を込めた唇が何かを堪えるように僅かに震え、――けれど何一つ言葉は紡がずに、彼は目を伏せた。
 欲しかったのだ。触れたかった。そうして確かめたかった。それ以外の確かめ方なんて知らなかった。
 今だってそうだ。触れたい。触れた肌の温度が、どうしようもなく欲しかった。今すぐにだって会いたい。けれどそれが出来ないのは、
――来ないでくれ。
 網膜に浮かんだのは、痛みを堪えるような、けれど空虚さを滲ませた表情。
 ……そんな顔をさせたかったわけではない。
 目にした瞬間、胸に走った痛みと、そこからまるで毒のようにじわじわと染みてゆく苦い感情の名を、ミュルメクスは知らない。彼がそんな表情をしているのが苦しい。けれど何故こんなに胸が重いのか解らない。
 手の届くところに在れば充分だと思っていた。それ以上のことを求めはじめたからだろうか。
 そこまで考えて、――ふと、齟齬を感じた。
 それ以上のこととは何だ?
 触れたいと願うのは、ただその存在を確かめたいが為に過ぎない。近くに、手元にあるのだと知りたいだけだ。
 一体何が欲しいというのか。
 考えたところで、方々へと散らばった今の思考から答えを導き出せるわけもなく、彼は浅く息を吐いて伏せていた双眸を開いた。
 夜とはいえ、至る所に照明の設えられた室内の明るさに一瞬奪われた視界が戻る。――ふと、ミュルメクスは己のすぐ横にうっすらと影が落ちているのに気付いた。ついで、背中合わせに置かれたもう一つのソファが小さく軋む音。宿の客が戻ってきたのだろうか。或いは自分と同じように下りてきたか、いずれにしても、こんな位置に座ることもないだろうに。――そう思って僅かに視線を上げかけて、それより一拍先んじて声がした。
「よお。……こんばんは」
 ミュルメクスは目を見張る。他の誰より望んでやまない声に、弾かれたように振り返った。

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2010/06/06

 探索帰りの冒険者達でごった返す、羽ばたく蝶亭の一角。
「……殿下と何かあった?」
「……あんたには何かあったことはバレバレだろ?」
 挨拶もそこそこの問いに、もしかしたら偶然なんかじゃなく探されていたのかも知れない、と思いながらランビリスは苦笑した。
 片手を上げてカウンターに注文を出しながら、エフィメラはまあね、と肩を竦める。夕刻の喧噪にも負けない独特の声音の女主人が去っていくのを見送って、エフィメラは足を組み換えた。
「でもこういう時は、あった?って訊いとくのがやっぱスジかなーって。で、えっと、」
 明るい青の瞳で、横目にこちらを伺いながら、
「……もしかして破局」
 妙な言葉の使い方に脱力しそうになった。
「破局ってのは関係できてる前提で使うもんだと思うんだがなー……」
「あっは、細かいことは気にしなぁい」
 ランビリスの指摘をひらひらと手を振って受け流し、でも、とエフィメラは頬杖を突いた。
「何があったか知らないけどさ。普通に仲良かったでしょ、あんた達。オトモダチとして」
 オトモダチとして。何故かその言葉は妙に響いて、胸の内を少し重くした。理由は解っているつもりだ。ランビリスは壊れた関係を惜しんでいる。進みも引きもしないあの状況が心地よかったと感じている――否、感じていたのだ。
「……まあ、言われてみればそうだったかもな」
 ぽつりと落とされた覇気のない一言に、エフィメラは瞬いて、僅かに気遣うような色を滲ませた。
「……お兄さんもしかして落ちてる?」
「落ちてるっつーか……まあいろいろとあってな。いい歳してパンク中なのよ。疲れてんの」
 言いながら少し視線を伏せれば、シャツに隠された己の手首が目にはいった。思わず昨日の感触を思い出しそうになって、振り切るように溜息を吐く。
 実際、許容量を超えているのは確かだった。どう整理を付けて良いのか解らなくて、一日悩んだあげく酒精に頼ろうとしている。
 そんなランビリスの様子をどう取ったのか、エフィメラはふうん、とだけ呟いて視線を前へ向ける。カウンターの中から威勢のいい声と共に差し出されたグラスに、礼を言うのが聞こえた。
「……でもよく続いたよねぇ。あんたらの仲良しこよし」
 まるで揶揄するような言い方だが、これが彼女の常態であるとランビリスは既に知っている。それだけの月日が知り合ってから流れていたが、ランビリスはそうか?と疑問符を付けて応じた。
「あんた等が来てから、まだ半年は経ってないだろ?」
「そりゃねー。でもぶっちゃけあんた、困りまくってたでしょ?そんなので良くあんな微妙な関係続いたよねって。……ま、納得できるところもあったんだけどさ」
「納得?」
 怪訝そうに問い返すと、そう、とエフィメラは頷く。
「あんた等さぁ、相性良かったんだよ」
「…………」
「うーん、いい感じに困惑顔」
「もの凄く不本意だったぞ、今の」
 ミュルメクスが望んでいた距離と、自分が望んでいる距離は違う。そこからして噛み合わないのに、相性がいいなどと言われてもピンと来るはずもないし、決して歓迎できないアプローチを受けていた状態を「相性がいい」と評されているのならそれは見当違いだ。
「だってホントだもん。殿下は好きなものがそこにあればいい、って人だし、あんたは結構放任主義だから、傍で好き勝手させてくれるし?」
「……そうかぁ?あいつがそこまで無欲とは思えないんだが」
「言い方悪かったかなー。殿下はさー、一方通行でも構わないんだよ」
 その言い方がなんだか引っかかって、ランビリスはエフィメラへと視線を向ける。
「どういう……?」
「好きって言って、それにあんたが"はい"も"いいえ"も"好き"も"嫌い"も答えなくても、殿下は怒んないでしょ? そういうこと」

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2010/06/05
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