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2024/09/23

そして、おばあさまは言いました。
「あなた方は、十五になったら、海の上に浮かび上がっていくのを、許してもらえますよ。そうしたら、あなた方は、月の光を浴びながら、岩の上に座って、側を通って行く大きな船を見たり、街や街を眺めることができますよ!」
 さて、その次の年に、一番上のお姫様が十五歳になりました。けれど他の妹達はまだでした。……そう、みんな、歳が一つづつ下だったのです。
 けれども、お姫様たちはお互いに、自分が上に行った最初の日に見たこと、一番美しいと思ったことを、他の姉妹たちに話して聞かせようと、約束し合いました。というのも、みんなはもう、おばあさまの話だけでは、足りなくなっていたからです。みんなが是非とも知りたいことが、本当にたくさんあったのです。

 ーーアンデルセンの童話:人魚姫より 大塚勇三編・訳

「それは、面白いかい?」
 唐突に声をかけられて、加州は顔を上げた。思っていたよりも近くに小首を傾げて立つ主の姿を認めて、慌てて無遠慮に崩していた足を正座させる。
「主、帰還してたんだ?」
「つい先程」
「新入りの様子はどうだった?」
「なかなか、というところかな。まだまだ研鑽の余地はあるけれど、頼りになると思うよ」
 もちろん加州にはまだまだ及ばないけれどね。
 そう言われれば、その言葉の何割を真贋が占めているかなど関係なしに、加州は嬉しいと思う。頼りになると言われる、信を置かれているーーそれが加州にとっては何よりのご褒美だった。
「ところでそれだけれど」
「あ、うん。主の本だよね?」
 この主ーー審神者は現世とされる未来からものを持ち込むことを好まない。持ち込んできてみてもせいぜいが戦術書や歴史書のたぐいで、それならば刀当人に聞いたほうが早いのではないかと思ったりもする。
 だが、加州が今まで読んでいたのは、明らかにそういった類のものとは違っていた。
「短刀たちにね、聞かせる話の一つも知らないのではいけないと思って」
 考えを見透かすように、あるいは照れくささを弁解するように主は言う。
「……ふうん」
 以前はこの審神者は刀剣たちとあまり深い関わりを持とうとしなかった。けれど、こうして歩み寄ろうとしているということは、なにか考えの変化でもあったのだろうか。以前はこういった心中を推し量ることさえ許さないような壁を、近侍の加州すら感じていたのだけれど。
 まあいいや、と加州は思う。もし主がなにか話す気になった時にそれを聞くことが出来ればいい、今はそれだけでいい、と自分に言い聞かせる。
「いいと思うけどさ、話して聞かせるにはちょっと難しい話が多いんじゃないの」
「まあ、そうだね。あらすじだけでも聞かせれあげられればと思ったのだけれどね」
 もうこんな歳になると覚えも悪いし、暗唱は無理だね、と主は言う。こんな歳、と言っても、確かな年齢を知るわけではないが、この審神者の外見は三十前といったところだ。そう記憶が衰える歳でもあるまいに、と加州が言うと、主はいやいや、と首を振る。
「人間の頭はね、だいたい二十五を過ぎると徐々に衰えていくのさ。だから私はもう下り坂だよ」
 下り坂、という言葉が、妙に印象に残った。そう、花に盛があるように、生きとし生けるものには寿命がある。己等刀剣のように命ない物が仮の姿をとっているのとはまるで違う。
 そうして何人もの死を見てきたじゃないか、と思いながら、またこの主との別れを経験するのかと思うと、本来ないはずのーーこの審神者によって形作られた心が痛む気がした。
「それで、お気に入りの話はあったかい」
「あー、めくってただけだから、全部読んだわけじゃないし、まだ全然」
 言ってページを指させば、主はああ、と小さく声を上げる。
「主はこれ、読破したの?」
「うんと小さな頃にね。だから内容はおぼろげに覚えているけれど、細部はさっぱりだ」
 懐かしそうに文字列を視線が追い、ふ、とひとところで留まる。その気配に気づいた加州が後ろから覗きこむようにしていた主を見上げると、主の瞳には何処か切なそうな色が浮かんでいた。
「この話は、人魚姫と言ってね、海に住む異形の娘が、人間に恋をする話しさ」
「ふうん。……なんかそれ、似てるよね、俺達とさ」
「似ている?」
「だって俺達も元は刀じゃん。でも主のことずっと慕ってるから」
 いえば、困ったような苦笑が返って来た。
「お前が慕う相手はもっと他にいるだろうに」
「はあっ!? ちょ、待ってよ主」
「別に、お前が誰を好こうと、私はお前を捨て置いたりしないよ」
 言い募ろうとした加州の心中を読んだように、主は言い切った。
「むしろそのほうが幸せだろうと、私は思うよ」
 言って、主はパタリと本を閉じる。赤い布張りの、少し汚れた、けれど美しい装丁の本を。




 ーー人魚姫の手の中で、ナイフがぴくぴくと振るえました。……けれど、その途端、人魚姫はナイフをずっと遠くへ、波の間に投げ捨てました。すると、ナイフの落ちた辺りの波は赤く輝いて、まるで血の滴が水の中から、ぷつぷつ湧き上がるように見えました。人魚姫は、もう半ば霞んでしまった目で、あと一度だけ王子様を眺めると、船から身を躍らせて、海に飛び込みました。すると、自分の体が溶けて、泡になっていくのが感じられました。


(異なる存在との恋は、報われないと知っているから)

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2015/02/06


「あんた、結構強いよな」
「そうでもないぞ」
 言いながら杯を傾ける三日月は、そう言いながら酒精に酔った風は全くない。対する加州は、既にすっかり出来上がったと言っても差し支えない状態だ。なんだか頭はクラクラするし、少し眠い。体の感覚もどこか希薄で、今刀を握ったところでまともに振るえるとは思えなかった。
「思うに加州よ、そなたは急いて飲み過ぎる癖がある」
「あーそれは、そうかも」
 思えば前の主のもとは男所帯、酒宴で盛り上がることは避けられない。そのせいだろうか、つい注がれれば飲み干してしまう癖のようなものがついていて、動物ではないけれど、モノも持ち主に似るもんだなぁとぼんやり思う。
「だったらさぁ、あんたもホイホイ注ぐの、やめてよ」
 盃を飲み干す度に、手酌で構わない、と思うのに、この三日月宗近という男は、まるで世話焼きのように杯を満たしてくるのだ。
 きり、といまいち締まらない表情であるのを自覚しながらも睨めば、三日月は笑って、よいではないか、と返す。
「せっかくの賜り物ぞ、酔わぬほうが面白くあるまい」
 そういうものだろうか。確かに新酒の味も、風情も景色も会話も楽しんだ。後は酔の余韻を楽しむだけ、となってもいいのかもしれないけれど。
「けどさぁ、あんただけ酔ってないの、なんか面白く無い」
「そうか? では」
 くい、と杯が差し出された。
「俺にも酌をしてくれんかな、加州」
「……そんなんなら、いくらでもどーぞ」
 といって卓越しに酌をしようとすれば、己の徳利は既に空だ。仕方なく、三日月の方に卓を回って這って行って、園となりに正座する。まだ中が残っているだろう徳利を手に取ろう、とした時だった。
 ぐい、と腰に手を回され、引き寄せられる。うわ、という声は出たのか出なかったか。そのまま半ば足を崩した三日月の膝の上に乗っかるような形になって、背中に触れる体温に頬にかっと朱が走った。
「っ何すんだじじい!」
「言ったろう? 俺もそう酒に強いわけではない、と」
 そういえば最前にそんな会話をした気もする。つまり酔っぱらいの策略にあっさり引っかかったわけだ。
 子供っぽい悔しさを蹴散らそうとする加州の手を、三日月の左手がとった。そのまま、あの時のようにゆるりと指が絡む。その手の甲に口付けられて、いよいよ加州はどうしたらいいのかわからなくなる。
「清光」
「なに……さ」
「今のうちだぞ?」
 どくん、と刀のうちはなかった器官が強く脈打つ。
 何が、などとは問うまでもなかった。
 口付けられたそのままの位置で紡がれる言葉がくすぐったい。けれど、決して嫌ではない。それがなおさら加州を追い詰める。
 結局出たのは、歌手にしてはひどく婉曲な、暴言じみた言葉だった。
「馬っ鹿か、あんた」
 言って、今度はこちらから手の甲を相手の唇に押し付ける。からかうような言葉ならば今は聞きたくなかった。
 だが、言葉は何一つなく、加州は腰ごと自分の体が持ち上げられるのを感じる。一瞬浮遊感を感じたのもつかの間、背中から降ろされたのは畳の上だった。
 覆いかぶさるように三日月に見つめられ、今度こそ顔を隠すすべのなくなった加州は、頬を朱に染めたまま視線だけをそらす。いまあの打除けの宿る瞳を見たら何を口走るかわかったものではなかった。逸らした視線の先には、三日月の白い腕があって、しっかりと加州を閉じ込めている。
「清光」
 呼ばれて、そろそろと見あげれば、思ったよりも近くに三日月の顔があって、それが満足したような笑みを浮かべているのを見る。せり上がる感情を誤魔化すように、明かり、とだけ呟いた。
 それに納得してくれたのかどうか、覆いかぶさっていた三日月は立ち上がると、部屋の中に一つだけあった燭台を手で仰いで灯火を消す。
 すっかり暗くなってしまった室内で、けれど今更逃げることも出来ずに、加州は寝転がったままそれを見ていた。
 再び戻ってきた三日月が加州に手をのべる。それを掴んでそっと抱き起こされると、今度は殺気よりも幾分柔らかい感触の上に押し倒された。座布団の上だ、と思うと同時に、己はともかく、この典雅な刀にこんなところでそんな行為に及ばせてもいいものか、どこか罪悪感のようなものが沸き上がってくる。
 嫌だ、といえばこの男はきっと愛でるだけ加州を愛でて、それで開放してくれるのだろう。けれど。
 今は。
「……こんなとこで、いーの」
「今を逃すほど、呆けては居ないのでな」
 ああ、と加州は目を閉じる。
 そっと唇に柔らかい感触が重なり、閉じられた唇をちろりと舐められる。やがてそれは口唇を割って口内へと入ってきて、もどかしさと幸福とがないまぜになるような優しさで、下と絡み合う。
 今日の夜はきっと長いのだろうと、加州は思った。

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2015/02/01

ぎゅっときつく閉じられたまぶたを撫でる。珍しくきつく手袋の嵌められた手をとって引き寄せ、そっとまぶたを撫でてやった。
 いくども繰り返す内、震えが収まり、そっとまぶたが開く。
 その色を見て、三日月は目を見開いた。
「なあ、三日月、」
 すがるように絞られた声も何処か嗄れている。
 どうしよう、俺、
 今にも泣き出しそうな加州を見つめて三日月は努めて穏やかに語りかけた。
「一体どうしたのだ、これは」
 加州の瞬いた瞳からつと一筋雫が零れ落ちる。その半ば緑に染まった瞳から。ゆらりと怪しい光を放つ瞳がもう一度閉じられて、代わりに喉から引き絞るような嗚咽が漏れた。歪んだ、あの敵の断末魔によく似た嗚咽が。





 違う。
 違う、違う。

『お前はあの人のこと忘れちゃったの』

 俺はあの人を忘れたりなんかしない。最期まで愛してくれたあの人を忘れたりなんかしない。
 そこまで思ってぐらりと目眩がした。
 吐き気がする。いろいろな感情がない混ぜになって、それを頭と体が処理しきれない。顔から血の気が引くのが自分でもわかる。
 慌てて近くの、誰も見に来ないような茂みへと押し入って、そこで、両手をついて吐いた。こんな夜更けだ、位から履くものなんてそうそう残っては居ない。きつい胃酸が喉を焼くのを感じて、それが苦しくて視界が滲む。
 忘れたりなんかしない。
 忘れたりなんかしない。
 あの人を残して、幸せになんてなったり出来ない。
 なのにどうしても、どうやってもあの人の声を思い出すことが出来なくて、そんな自分に愕然とする。
 安定の言葉がもう一度脳裏にこだました。

『愛してくれるなら誰でもいいの? 自分の主人じゃなくても?』

 違う。そんなんじゃない。
 ただ与えてもらえるぬくもりが恋しかっただけ。
 それ以上でいいはずがない。
「っ……ぅく」
 漏れそうになる嗚咽を何とかこらえて、吐瀉物で汚れた口元を洗いに井戸へ戻る。冷たい水で口元を洗い流せば、こぼれた水がぽたぽたと部屋着の前を濡らした。
 忘れられない。忘れたくない。
 もう一度愛して欲しい。
 どうしたらいい。どうすればいい。
「あ……」
 思いついた可能性に背筋がぞっと粟立った。
 それは禁忌だ。
 どうあっても行ってはいけない。
 そのはずだ。
 そのはずだ、けれど。

(もしあの人が池田屋に行かなかったら)

(もしあの人が怪我をせずに鳥羽にいけていたら)

(もしあの人が近藤先生に見出されなかったら)

 いくらでも出てくるもしも、は際限がなくて。
「なあ、どうしたらあんたを生き延びさせられた?」

 ぽつりとこぼされた言葉は、夜の闇に溶けて、消えた。




「なあ、清光、眠れた?」
 幾分気遣わしげな同室の男に、加州は笑ってみせる。幾分憔悴した顔で。
「別に、平気平気、それよりさ、お前に心配かけたよな、悪い」
「いや、昨日のことは……俺もちょっと我儘言ったかなって思ってて、」
「気にすんなって、さー今日も一日、頑張るとしますかー」
 言って部屋着から洋装へと着替える加州の背中を、安定は不安げに見つめ、俯いた。どうしてそんなふうに見てしまったのかわからない。いくらあんな言葉を投げつけてしまったとはいえ、安定は加州自身の精神の平衡を望んでいることも確かなのだ。
「ねえ安定」
 唐突に話しかけられ、不意を突かれた安定はただ背を向けた加州を見つめる。
「俺は、忘れないよ、あの人のこと」
「……そう」
 この吹っ切れたような態度には素直に喜ぶべきなのだろうが、何なのだろうか。胸によぎったこの一抹の不安は。

 思えばあの時にもっと話しておくべきだったのだ。
 そうすればあんなことになるのは防げたはずだった。




 わかんない、嗄れた声で加州はそう言った。
「俺は、ただ、あの人に生きていて欲しくて、でも何にもしなかったんだよ。そんなことしたら今の主にも嫌われる、だから」
「分かった、もう言うな」
 薄緑色の光が揺れる視界の中、加州はほとんど三日月に縋るようにして彼を見上げる。
 本当に、何もしはしなかったのだ。ただ敵を切り伏せるその度に、ここで斬られたのが己の方だったら、歴史が変わっていたらと思っていたことは否めない。
 もう一度声が聞きたかった。その手で握って、共に戦場に立ちたかった。最期まで愛されて、あの人が逝く時まで一緒に居たかった。
 押し込めていた想いが安定の言葉を引き金にしてずるずると引きずり出されてくる。
 そして最後の敵を切り伏せた時、後悔したのだ、本当は。
「だからきっとその罰なんだ」
 ほとんど嗚咽混じりの声がそう言って、その度に加州の姿が、揺れる。まるで質の悪い銀板に写したように、姿がぶれる。
 と、ピシャリと鋭い音を立てて、襖が開いた。
 そこに立つすらりとした大柄な立ち姿は、よく見知ったものだ。その纏う殺気にわずか戸惑ったのもつかの間、すらりと抜き放たれた大太刀に、三日月は目を見開いた。
「……石切丸が淀んだ気がするというので来てみれば……このようなことでしたか」
 三日月の胸にすがった加州の姿を見て、太郎太刀は大きくため息を吐いた。
「まあ待たれよ、太郎太刀よ。まだ加州は姿を歪めたわけではあるまい、大袈裟であろう」
「既にそこまで異形化の進んだ身を以って何を言われますか。そもそも我らは歴史改変を阻止する身、その我らの中から落伍者が出たとあっては主である審神者も処罰を受けかねません。そうすれば我らは人の姿を保てなくなる。それに今折っておかねば、その男は貴方を否、他の仲間をも殺すかも知れぬのですよ」
「そなたが人の身であることを気にするとは、珍しいの」
「ふふ、そうですね」
 笑った太郎太刀は、だが戦場と殆ど変わらぬ鋭さで、白刃を翻す。
 太郎太刀の向上を呆然と聞き、冷たい色の切っ先が迫ってくるのを見ていた加州は、動くことも出来ずにそれを見つめ、だが後ろに強く惹かれて、目の前で、がきん、という音とともに白刃が止まるのを見る。
 驚いたのもつかの間、加州を半ばだくようにしてかばった三日月が、いつの間に抜刀したのか、刀を握りしめていた。
 ぎりぎり、と鍔競り合う音がしん張り詰めた室内に響く。
 狭い室内では大太刀は不利だが、だからといって大柄な太郎太刀の力を片手で受け止める三日月は分が悪い。
 戦場で慣れているはずの殺気を仲間から向けられて身が竦む。だが震えそうになる体を強い力で抱かれて、守られていると、胸がじわりと温まる。安堵と、偉業へと変わっていく恐怖とで頭のなかがかき回されるようだ。何を考えればいいのかも解らない。
「……なあ加州よ」
 三日月は普段の飄々とした顔のまま、抱かれた加州を見下ろしてくる。
「そなたが前の主を忘れられないことは仕方がない。けれどな、俺はこうして今のお前を愛しているよ」
 ぎり、と刀身が鳴った。三日月の刀がすこしばかり押される。
「清光、頼む、過去に生きるな、今を生きろ」
 視界が緑色に染まる。ああ。ああ。
 ごめん、と言いたかった。言えなかった。
 体の感覚がおかしくなる。三日月がわずかに険しい顔をした。
 加州は残った最後の思考で言葉を紡ぐ。
「やくそく」
「清光、」
「最後があんたの腕の中なら、俺はあんたのもんだ」
 ここまで愛してもらえたのなら、それでいい。そう思いながら、加州清光の意識は暗転した。




 ぼんやりと目を開く。
 木目の目立つ天井。遠く軽い足音の走り回る音に対して、無音の室内。
「目覚めたか?」
 鷹揚な声が降ってきて、加州の視界に三日月が入り込む。こちらは部屋着で、よく見れば己は自室の布団の上で、服も感触からどうやら和装に着替えさせられている。
 ゆるゆると記憶を手繰って、加州は呟いた。
「俺、なんでここにいるの……」
 異形と化したのではなかったのか。あの時三日月の腕の中、緑に染まった視界を思い出す。
「それがな、加州。お前が倒れた途端、あっという間に元のお前に戻ったのだよ」
「なんで……」
「さてなぁ。のどが渇いたろう。水でも飲むか」
 頷いて、きしむ体をようよう起こす。湯のみに汲まれた白湯を少しだけ喉の奥に流し込んで、ふと気づいた。
「安定は?」
「おお、大和守ならば、お前がそんなことになったのは自分のせいだと騒いでおってな、今皆でなだめている最中だ」
「……」
「何かあったか」
 ゆるりと聞かれ、加州はポツリと口を開く。
「あの人の…沖田のこと忘れたのかって聞かれて」
 だから。その思考でいっぱいになった加州は、半ば異形と化すこととなった。安定はそう思っているのだろう。だがやすさだが何かを言わなくても、いずれは誰かがこうなるだろうとか週は思っていた。それが自分であっても何らおかしくないとも。
「なるほどなぁ。そなたらは、情が深いのだな」
 言う三日月の腕の内着の裾から、わずかに包帯が見え隠れしているのを見て、そういえば、と思い返す。
「あの後、どうなったんだ、俺が倒れて」
「応。太郎太刀はあっさり引いてくれたぞ。ただの仲間同士で同士討ちをする趣味はありません、と言ってな。それよりも清光よ」
 滅多になく名前で呼ばれて、加州は顔を上げる。思ったよりも近くに三日月の顔があって、思わず少しだけ身を引いた。
 それを三日月は許さず、加州の腰を抱いて半ば己の膝の上に載せるような形になる。童のように扱われているようで、なんだか居心地が悪い。
「そなたが言うた言葉、覚えておるか?」
 なにか言っただろうか、と一瞬考えて、思い至った言葉に思わず頬を染める。あの時は必死で、半ば何を喋っているかも曖昧だったのだが、がむしゃらに放った一言は覚えている。

「最後にはならなかったが、言質はとったと思って良いかな」

『最後があんたの腕の中なら、俺はあんたのもんだ』

 なんてことを口走ったのだろう、自分は。
 ただ、三日月の行動が、胸に迫ったのは確かで。守られているという感覚に心が揺れて。ただ、どうしても、どうしても、過去に向かう意識を、それらの言動で今に繋ぎ止めてくれたのはたしかに彼で。
「……俺なんかで、いいの?」
 ひっそりとした呟きには、朗らかな答えが返って来た。
「お前だから良いのだよ、清光」

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2015/01/31

知ってるんだよ。
 お前が時々夜中部屋から出て行ってること。
 その度に香の香りや酒精の匂いをさせて帰ってくること。
 誰のところに行っているかなんて最初は詮索もしなかったけど、(あいつは主人が好きだから、審神者に会いに行っているのかとも最初は思ったし)、でも気づいちゃったんだよ。
 廊下ですれ違った時に、覚えのある香の匂いを嗅いだことがあった。
 ねえ、お前は一体どうしたの。

 いつもどおりす、と障子が開く音で安定は目を覚ました。夏も盛りとなったこの時期、夜になったって上着なんて入りやしない。けれどもいつの間に着替えたのだろう、部屋着に鳴ってそこへ立つ影に、安貞は布団の中から呟いた。
「また、あの人の所行くんだ?」
 声の効果は絶大だった。あからさまに過多を震わせた影は、開きかけた障子を後ろ手にピシャリと閉めて安貞の方へと向き直る。
「何、言ってんのさ」
 加州のいつもの仮面が剥がれた声は、安定でもなければ滅多に聞くことが出来ない。
「別に。俺はお前が何考えてるのかわかんないだけ」
 安定は布団から状態を起こして、加州を見つめる。紅と青の視線が、言い知れぬ空気の中で絡んだ。
「そんなにあの人に入れ込んでるわけ」
「違う」
「じゃあなんでわざわざ隠れて出てったりするの」
 疚しいところがなければ、堂々と晩酌に行くとでも言って出て行けばいいのだ。その晩酌の相手が己でないのには何処か悔しいような、置いて行かれたような寂しさがあったが、そんなものは安定の勝手な執着だ、ということを、安定はきちんと理解している。
「なんで夜明けに帰ってきたりするの、一体何話してるのかしら無いけどさ、お前はさ、」
 もうそんなふうなことがもう気軽にできるの。

「お前はあの人のこと忘れちゃったの」

 ひゅ、と加州が息を呑むのが聞こえた。
「そんなことない」
「でも実際他の人と仲良くしてるじゃん。ねえ、加州、覚えてる?あの人と最後に合った日のこと。俺とお前が離れ離れになった日のこと」
「忘れるわけない! なんでそんなこと訊くんだよ、俺が、おれがどれだけあの人の側に残りたかったか知ってるくせに……ッ!」
「じゃあなんでそうやって他の人に擦り寄っていけるんだよ! 愛してもらいたいってお前の気持ちはわかるよ。だって一つ間違ったら捨てられるのは俺の方だったかもしれないんだから。でもさ、愛してくれるなら誰でもいいの? 自分の主人じゃなくても?」
 いつからお前はそんなに歪んじゃったのさ。
 一息に言い切って、安定はやっと黙りこむ。今まで抱えていた泥濘のような思いをすべてぶつけられた相手は、障子戸のところで細かく震えている。
「そんなんじゃ…ない。そんなんじゃ…」
 言って、加州はしばらくそこで震えていたが、おもむろに後ろ手で障子を開ける。
「清光、」
「違う。顔、洗ってくる」
 ぱちんと音を立ててしまった障子に向けて、安定は深い深いため息をつく。
 つい、己の黒い感情をぶつけてしまったことに、わずかな後悔があった。だって自分がどうやったって沖田くんを忘れることが出来ないように、加州にもそうあって欲しかった。それは紛れも無く、安定のエゴだ。
 部屋を出て行く時に加州の目尻に光った雫は多分安定の見間違いではないだろう
 遠くで井戸の水を使う音がかすかに聞こえた。
 多分加州はしばらく部屋には戻ってこないだろう。
 あの人のことを思って泣いてくれればいいのに。そうしたらまた二人で底のない沼の中に居られるのに。

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2015/01/31
 徒花

ゆるりと、加州清光は己の首筋の下、丁度襟よりもっと下の、普段は服に隠れて見えない辺りを指で辿った。小さな手鏡に映った己の姿。その、生白い胸の上あたりに、薄らと消えかけた一つの痕があった。



 鍛錬を積んだ足元は、たとえ氷のように冷えきっていても忍び歩くことができる。
 廊下ではなく、わざわざ縁側をつたい、そっと障子に手をかけた。

 耳を澄ませば、静かで穏やかな寝息が聞こえてくる。それに、ふ、と息を吐いてそっと部屋の中に忍び込んだ。
 男の趣味なのだろうか、薄らと香の匂いのする空気は、川の下の生まれである己にはひどく似合わない。身の回りのことに疎いこの男は、けれどもこうした浮世離れしたことには手馴れているようだった。
 そこになおさら生まれの差、刀として存在してきた年月、来歴の差すべてを感じて、加州は独り自嘲の笑みを浮かべる。
 音を立てないようにと裸足でやって来た足がひたりと畳を踏んで、膨らんだ布団へと近づく。眠る男はいつもの頭飾りを取り去って打ち除けの映える瞳が閉じられていてもどこか典雅な風情で、それが加州には少しばかり羨ましい。
 この眠りを妨げるのは幾ばくかの忍びなさを感じたのだけれども、己の欲には勝てずに、するりと加州は掛布の中へと忍び込んだ。
 と、途端に腕を引かれ抱きすくめられる。
「かわいそうに、こんなに冷えて」
 暗がりの中、部屋の様子は上手く見て取ることが出来ない。それでも加州には、相手があの人好きそうな笑みを浮かべているのが想像できた。
「起きて、たのかよ」
「こんなじじいでも刀であるからにはなぁ。気配には敏いものだよ、清光」
 滅多になく下の名前で呼ばれて、加州はじわりと体が熱くなるのを感じる。本当に、この男は滅多に加州をこの名で呼んでくれない。冷たい足を絡ませると、相手はーー三日月が何処か楽しそうに忍び笑った。
「駄目ではないか、清光、こんな寒い夜に上着の一つもなく」
「っ、どーせ、脱ぐ、から…」
 ぽつりとこぼすと、抱きすくめた腕の力が強まったのを感じた。
 三日月の体温で温まった布団の中は心地いい。本来は血潮も持たぬ身だというのに、いつの間にかこうして触れ合って体温を確かめることを心地いいと感じるようになってしまった。それが刀剣として良いことなのか悪いことなのかは加州にはわからない。
「清光」
 紡がれる音の羅列が心地よい。
「あまり急くものではないよ」
 紛れも無い劣情のことを暗に示され、加州はかっと頬を染める。だがそれも一瞬のことで、体は勝手に首を伸ばして、夜気にわずかに温度を落とした唇を塞いでいた。
「清光、」
 咎めるような声にも構わず、二度、三度と接吻を繰り返す。
「宗、近」
 すがるような声を出せば、三日月がわずかに目を細める。苦笑にも、煽られたようにも取れる表情だった。
「仕方がないな」
 それを同意ととって、加州はさらに体を密着させる。下半身にじわりと熱が集まる。
体勢を入れ替えるように敷布に押し付けられた、持ち上がった掛布の隙間から忍び込んでくる冷気にふるりと身を震わせる。それをなだめるように口づけが落とされた。


「ぅあ……ッ」
 あからさまに濡れた声をうっかり隣にでも聞かれはしないかと、加州は慌てて手のひらで口元を覆った。ぎゅっと閉じた眦は、少しだけ濡れている。
 ふ、と笑う気配があって、ちゅ、とわざとらしい音を立てて軽く頬に口付けを落とされる。それが不満で加州はようよう掌を少しだけ唇から浮かせた。
「ちが…」
「何がだ?」
 こんな時に余裕さえ滲むような声で聞いてくる相手を小憎たらしいと思いながら、加州は言い募る。
「そこ…じゃなく、別のところに」
 そう強請れば、僅かの間の後に消えかけた痕の上をなぞるような口づけが落とされた。緩く、触れるだけのようなそれが、加州にはもどかしくてならない。
「宗近、そう、じゃなくて」
「ではどうして欲しい?」
 ああ、意地の悪いじじいだ、そんなふうに軽口を叩けたらいいのに。そう思いながらゆっくりと瞳を開く。
 体が欲する熱なんてものは二の次だった。
 証がほしい。
 愛されている証がほしい。
「痕、つけてよ……」
 体だけでも愛されている証がほしい。心なんていつ変わるかわからない、だから加州はこうしてねだるのだ。
 白い肌に、傷のように花開く朱がほしい。

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2015/01/28
 金魚

「またここにいたか」
 加州が視線を上げれば、本丸の庭、ほど近い敷石の上に三日月が立っていた。夜を迎えたこの時刻、蝋燭の灯で白い袴がぼんやりと光るようにみえる。
 本当は、姿を見なくったって来たことはわかっていた。石畳の上を、こんな衣擦れの音をさせて歩いてくる足音を、すっかり聞き慣れてしまった。
「まーね、俺近侍だし」
「主の側近く仕えるというのも、なかなか面倒だなぁ」
「別に。可愛がられてるって思えるじゃん」
 戰場に出る事こそ本分ではあるが、こうしてやってきて間もない二軍、三軍の刀剣達を率いて主が戦場を回る間、待っているのもそう嫌いではない。
 尤も、加州がそう思えるのはごく最近になってのことだった。
 以前は主の側近くを任されていても、戰場に出られなければ不安で仕方がなかった。また、主を失うのではないかと。必要とされていないのではないかと。愛されて、居ないのではないかと。
 だが主はいつも無事に戦場から帰ってきたし、加州も余程の重症でなければ一軍を外されることはなかった。そして刀の傷みが治れば、また一軍に戻してもらえるのだった。
「とは言っても暇だろう」
「…まーね」
 がらんとした本丸は多かれ少なかれ寂しいものだし、賑やかしな短刀や他の太刀達も庭に姿を見せない。そもそも主が居ない、というそれだけで寂しさがある。だからこうして三日月がここを訪れてくれるのは、嫌では、無い。
 思い起こせばあの日以来、こうして本丸や部屋で手持ち無沙汰にしている時に、頻繁に三日月が訪れるようになった気がする。
 いや、気がする、のではなく事実なのだろう。

『着飾るのは、俺のものになってからにしてくれないかな』

 どう返せばよかったのだろう。あの台詞に。
 そも、どのような真意で放たれたのかも、加州にはよくわからない。
 いや、解ってはいるのだ。ただ、聞かなかった、なかった事にしようとしているだけで。
 愛されたい、と願ってはいた。
 ただ、自分のものになれと、そんな傲慢な台詞に少しばかりの抵抗を感じたのと、まさかそんな形で愛されることになろうとは思わなかっただけで。
 だがあの火以来、三日月は同じような要求はせず、ただ加州を猫か何かでも愛でるように扱うだけだ。そうしながら時折、加州にはよくわからない執着を見せる。
 本当に、何を考えているのかわからない。
「そういうと思ってな、ほれ」
 すい、と眼の前に差し出されたのは、真っ赤な金魚だ。
「無聊を慰める程度にはなろうと思ってな」
 そなたに似ておろう?
 童でもあるまいに飴細工なんて、と言いかけた言葉を、加州は飲み込んだ。
 じり、と蝋燭の燃える音がする。
 例えられたのが多少嬉しかったのは嘘ではない。ただそれ以上に、気遣われたことに心が動いた。
「……んじゃ、貰う」
「うむ」
 満足気に頷いて差し出された竹串を、加州は受け取った。燭台の光にてらてらと光る飴細工の金魚は、尾っぽの先だけが薄く白く透けて美しい。
「今日、なんかあったの?」
「うむ、縁日があってな、他のものは皆そちらに出てしまっている」
 そう言って三日月はごく自然に加州の隣へと腰を下ろした。
 他の、と言っても残っているのは皆短刀ばかりだったから、さもありなんという話だ。練度にかかわらずあんな子供だけで、と思わないでもなかったが、確か薬研も居たはずだから心配はいらないのだろう。
「あんたも、もっと見てくりゃよかったのに」
「何、じじいは人混みにはあまり慣れぬのでな。こうして二人いるほうが性に合っているよ」
 はっはっは、と朗らかに笑われて、加州はなんと返したものか迷い、結局持った金魚を舌先でちろりと舐めた。
 歯が溶けそうな甘さがじわりと広がって、加州はぼんやりと人の身をとった今の己を思う。最初は食べるという行為さえ馴染みのないことだったのだが、今では内版の炊事も慣れたものとなりつつある。ただ、爪紅を落とさなければいけないことだけは悩みの種だ。
 その爪の色に、確かによく似た金魚を眺めていると横から声がかかった。
「綺麗だろう」
 こくり、と頷いたあとで、飴細工に例えられた己を肯定したような格好になったことに気づき、わずかに羞恥を感じる。
 こんな美しくて甘いものに例えられて、恥ずかしくもそれを心の何処かで心地良いと感じる自分が居て、馬鹿みたいだと思う。
 いつの間に、こんな心の奥にまで、入り込まれてしまったのだろう。
「いい趣味、してんじゃん」
 苦し紛れにしてみた同意は、相手にどう映っただろうか。
 じり、と蝋燭の燃える音がする。
 そんな音が聞こえるような沈黙を誤魔化すように、加州はもう一度金魚を舐めた。多少はしたない仕草だったが、童相手に見栄えを狙って大きく作られた金魚が口の中に入るはずもない。
 広がる甘ったるさを心地よく思っていると、ふと、金魚を持っているのとは逆の手を引かれた。わずかに姿勢が傾いで、まるで三日月にもたれかかるような格好になる。
「おい、」
「いいだろう、これくらいは」
 男二人手を握り合って何が楽しいのか、否、本来は人の身を取らなければ手すら無いのだから、こうして人の身であることを楽しもうとする三日月の姿勢は正しいのだろうか、そんなことを考えながらもk仕方なく手を引かれたまま、加州は逆の手で握ったままの金魚を掲げる。
「あんま突然だと、落とすだろ、これ」
「それは惜しいな、では今度からは声くらいはかけることにしよう」
 声くらいはってなんだ、と思いながら加州は相手の手がゆっくりと己の指に絡むのを感じる。
 背後からの明かりがゆるく明滅した。
 ああ蝋燭が消えかかっている、換えを用意しなければ、と思いながら、薄闇の中、己の指と指の間、やわらかな皮膚に他人の手が寄り添う感触を感じる。やがてそれは己の手全体を包み込むように重なる。
「加州、」
 すいと握ったのとは逆の手で顎を掬われて、ああ、と思った。
 瞳の中の打ち除けが見えるほど近く、睫毛さえ数えられるのではないかというほどの至近に三日月の瞳を見て、

 一瞬、唇にやわらかな感触が押し当てられた。

 感触を追う間もなく、まるで何事もなかったかのように離れていった三日月はふわりと微笑む。
「やはり、甘いな」
 そして、やんわりと手を握り返される。それでやっと、己があの一瞬の時に相手の手を握りしめていたことに気づいて、加州は羞恥とともに手を緩めた。
「馬鹿か…あんた」
 苦し紛れに逸らした顔が段々と熱くなっていくのを感じつつ、加州は言葉を続ける。蝋燭の灯は、消えていた。こんな顔を見られなくてよかった、と思う。
「甘いのなんて、当たり前だろ、飴なんだから」
「うむ、そうだな」
 きっとこの男は、いつもと変わらずのほほんとした微笑みでも浮かべているのだろう。
 そう思うとなにか猛烈に悔しいような、それでいて胸の奥に広がった決して嫌ではない感情をどう表していいのか解らずに、加州は縁側の縁にくっつきそうになっていた金魚の雨を持ち直した。
「暗いな」
「いいよもう…あの人が帰ってきたらもう一度つける」
「それでは、それまでここにいてもいいかな」
 駄目だ、という理由を、加州は何も見つけられなかった。

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2015/01/27

月が出ていた。
 赤い盃の中、それは時折吹く夜風にゆらゆらと揺れて、形を留めることがない。
 まるでこの男の胸中のように、動きが読めない、と半ば酔った頭で加州は考える。





「もし、そなたが折れたなら、」
 ぽつ、と落とされた言葉に、加州は思わず顔を上げた。
 普段だったならば、縁起でもないことをいう爺さんだ、と軽口で返したのだろうが、そう出来なかったのは、その言葉がいつもの鷹揚さの中に、一筋の鋭さを隠していたからだ。その名の通り、爪の先で引っ掻いた三日月のように一筋の。
 だが、いつまでたっても言葉の続きは聞こえず、加州はゆっくりと振り向いた。刻限は既に夜、蝋燭の灯だけちろちろと燃えて相手の横顔を照らした。視線を感じたのだろうか、いつもと気配は変わらずに振り返った声の主の目の中に三日月が見える。
「いや、」
 忘れてくれ、そう言って彼は微笑んだ。台詞に潜んだあの鋭さを綺麗にかき消して。

 戰場では誰が消えてもおかしくない。
 けれど戦場でなくても散る命があることを加州はよく知っている。
 今でもまだ夢に見るのだ。
 それは、けほ、という乾いた咳から始まって、それが四つ、五つと続くうちに、ゴホゴホという濡れた重い音になる。そしてぽたりと、主の掌を濡らした赤い血が畳の上に滴るのだ。
 労咳、当時そう呼ばれていたその病は、加州の主の命を確実に蝕んでいった。日に日に衰えていく、最後の頃は猫も斬れなくなったと嘆いていた主のことを、加州は未だに忘れることが出来ない。それは大和守も同じのようで、加州と大和守の間ではこの件はほぼ禁忌に等しい。
 話題の周りをなぞるように話すだけで、決して核心には触れない。
 だからだろうか。
 加州にとっては死に纏わる話は禁忌だった。別離は恐ろしい。見てもらえなくなる、愛してもらえなくなる、可能性すら奪い去る別離がひどく恐ろしかった。

 だから聞けなかった。
 俺が折れたら何なの、たったそれだけの言葉が、あの時は喉から出なかった。




「前にさぁ」
 ゆるゆると手櫛で櫛っていた髪を梳く手を止めて、三日月は己の傍らに突っ伏すようにして倒れこんだ青年を見やる。酒精にはあまり強くないのか、はたまた飲み方の加減を誤ったか、加州清光という名の青年は今はくたりと己の傍らでおとなしくなっている。まるで猫のようだと思うと、結わえられた髪も何やら猫の尻尾のように思えてきて、懐かぬ猫が擦り寄ってきたような心地で撫でていたのだが、ようやく何やら考える事ができるようになったらしい。
 いつもはつっけんどんな言い草の何処か眠たげな甘さを伴った声で聞いてくる。
「俺が、折れたらって」
 そしたらあんたどうするつもりなの。
 腕に顔を載せている所為で表情は見えないし、声もくぐもっていたが、三日月の耳にははっきりと声は届いていた。いくらじじいを名乗ってはいても所詮器物に宿る付喪神、本体であるこの刀が健在であるかぎりはそこまで耄碌しはしない。
「そうだなぁ」
 長く伸ばされた髪をくるくると指に巻きつけながら、三日月はもう片手で酒盃を傾けた。
「俺の意見を聞く前に、加州はどうしてほしい」
「俺は……別に」
 一度廃刀されたんだし。愛されないならどうしようもないし。こんな俺綺麗にデモしておかないと愛してもらえないだろうし。
「でも、そういうのも全部、折れたら終わりなのかなぁ、俺たち。想いも何もかも、全部、消えて……」
「再刃は望まぬか」
「だってそれ、もう元の俺じゃないだろうし」
 それもそうだな、と三日月は頷く。形を変えられた刀剣は、概ねその記憶の大部分を失う。そうなった加州清光は、すでに今の加州清光とはいえないだろう。
 そこからまた新しい関係を結ぶのもまた良きかな、と言えないほどには、三日月は今の加州に執着している自覚がある。
「しかし、そなたも酷なことを言うな」
「ひでーことなんて、言ってねー……」
「そなたを尊く、失いたくないと思うものには、酷なものだよ」
 言ってやれば、黒い前髪の下から、ちらりと赤い瞳が覗いた。
「尊い?」
「ああ、尊いとも。乾坤にたった一つの、愛おしいものだ」
 その言葉に何処か満足したように、珍しく素直に大きな猫は瞳を閉じる。
 このまま寝てしまうのだろうか、それは少し寂しい物があると思いながら、三日月は言葉を続けた。
「だからな、加州。お前が折れたら、俺は審神者を斬るよ」
 ぱちり、とまどろみに落ちかけていた瞳が開いた。
 おや、と思うまもなく両手をついて立ち上がろうとした彼は、思ったよりも酔いが回っていたのかまたくたりと畳に突っ伏してしまう。それでも言葉はまだ正気のようだった。
「何、言ってるのさ」
 あの人が居なきゃ俺達は存在してられないだろ、言う言葉にも三日月は首を傾げる。
「さてな。政府とやらがまた新しい審神者を送ってくるかもしれん。まあ審神者を斬ったら俺は当然人の姿は取れないだろうが、お前がお前で亡くなってしまうほうが、よほど嫌なのだよ、俺は」
「我儘なじじいだ」
「まあ互いに歴史を守るべく尽力しようではないか。折れてはそれも叶わぬのだからな」
 うう、となにか言いたげに呻く頭に、そっと手を置いて、それきり沈黙が落ちた。
 しばしの後、わずかに良いの覚めた声で加州は言う。
「ホントに、そう思ってんの?」
「言っただろう。お前のことが愛おしいと。だから、その存在を壊すのならば、俺はその報復をする。お前を大事にしてくれるのなら、俺も仕える。まあ主殿は刀を使い捨てにするような方ではないからな。もしもの話だ」
 ははは、と朗らかに三日月は笑った。先ほどの台詞の物騒さなど微塵も感じさせない調子で。

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2015/01/27

「ふあぁ…」
 加州清光は日当たりの良い縁側の縁に腰掛けたまま、今日何度目か、数えるのも飽きた欠伸を吐いた。幸いにして季節は春になろうかという頃、本丸の池もすっかり凍ることがなくなり、庭も次第に緑を取り戻し始めている。
 目に眩しいほどの新緑の芽がわずかに芽吹いているのを見つけて、加州はのんびりと目を細めた。
 本丸を守るという役目を言い遣わされて入るものの、実のところここが攻め込まれるということはないに等しい。守ると言っても掃除をするとか、間違って入り込んできた虫を追い払うだとか、やることがあるとしてもそんなところだ。
 出陣している仲間と主には悪いが、暇をつぶすこと以外にやることがない。
 離れた橋から短刀達が鯉に餌をやっているのを眺め、さて本格的に寝てしまおうか、しかしそれでは主が帰ってきた時に出迎えられない、と思い直し我慢するものの、やはりぼやきは口をつく。
「…眠いよなぁ」
「ははは、こういい陽気だとな。誰でもそうなる」
 隣から聞こえたのんびりした声に、加州は汲んだ足に頬杖をついて応じる。
「そういうあんたは、こんなとこにいていいわけ?」
「まあそう邪険にするな。爺の繰り言に付き合ってくれるものもそう多くはないのでな」
 そういって笑う男は、三日月宗近という。天下五剣の中でもっとも美しいと謳われる通り、付喪神となったその容姿も、眉目秀麗な青年であった。纏う衣装も、紺の狩衣に金糸で三日月の紋様が織り込まれ、袴にも転々と金糸の刺繍が施されている。野良着よりはよほど様になっているーーと加州は思う。
「それともまだ茶の件で怒っているのか?」
「いーえ、あんたにそーいうの似合わないでしょ」
 茶の件というのは、加州がここで日向ぼっこを始めた頃にやってきた三日月が持ってきた茶のことだ。
「主の入れるのを見た通りにやったつもりだったのだがなぁ」
「どーせ茶葉が開くまで待ってたんでしょ」
 濃い緑色をした茶は見た目通りに苦味が強く、飲めたものではなかった。結局半ばまで飲んで、あとは縁側の脇で冷えてしまっている。
「ってゆーか、あんた自分の周りのこと全然出来てねえじゃん」
「うむ。まあ世話をされることに慣れきってしまっていてな。故に、茶を入れるのもなかなか楽しませてもらったのだが」
「だーかーらー、ちゃんと淹れられてないって」
「おお見たか加州、鯉が跳ねたぞ」
 ぽちゃん、という音を聞きはしたが、視線をそちらに向けた時には既に水面に飛沫が上がっているのを捉えられただけだった。
 はあ、と加州はため息をつく。
 どうもこの御仁といると、ペースを崩される。
「ところで加州、そなたの耳飾りは変わっておるな」
「あーこのピアス? 似合ってる?」
「ぴあす、というのか。それは痛くはないのか?」
「別に。そりゃ、開ける時と引っ張られたりしたら痛いけどね」
 耳に穴が空いているのだろう? という問いに加州はこともなげに答える。この程度のもの、戰場で受ける傷に比べればなんともない。
 そうか、と三日月は考えこむ風に言葉を切る。
「私はな、加州」
 す、と伸びてきた手が無遠慮に耳朶に触れて加州は思わず身を引いた。それでも追ってきた掌の温度に、温かいそれに思わず動きが鈍った。
「お前が着飾ることを好いているのは知っているが、傷ついてまで着飾ろうとするのは好かんよ」
 ゆっくりと耳朶を撫でていった手は、そのまま下に降りて、耳飾りに触れた。金属の擦れ合う、ごく微かなチャリ、という音がした。
「……あんたには解かんねーよ」
 加州は一度、廃刀にされた。もちろん刃物として使い物になったがゆえの事だったが、あの時の己の見窄らしさといったらなかった。
 それに、人は美しいものを好むのだ。薄汚れた刀より、磨き上げられた刀を好むのは当然のことだ。
 もう二度と捨てられたくはない。だから着飾り、また着飾ることを許してくれる主についていこうと思っている。
 現世で国宝としてそれは丁重な扱いを受け、最も美しいとの評判を勝ち取った三日月にはわからないだろう。
 ぽつり、と加州は繰り返した。
「解りっこねーよ」
「ああ、解らぬかもしれないな」
 そうだろう、独りごちた加州の耳に入ってきたのは、意外な言葉だった。
「着飾らずとも、お前はそのままでも十分美しいよ。それをこれ以上着飾るのは……うむ、そうだな」
 言葉を選ぶ風の三日月に、加州は思わず噛み付いた。
「着飾るなって言いたいわけ? そりゃあんたそのまんまでも綺麗だからいいよ。だけど俺は、」
「まあ、待て。そう言っているわけではない。ただな、そう、妬けるのだよ」
「は?」
 妬ける? 焼けるの聞き間違いか?
「そなたがそれ以上美しくなっては、狙うものも多くなろう? だから加州」

 着飾るのは私のものになってからにしてくれないかな。

 あまりに率直に言われた言葉に、一瞬頭が追いつかず、加州はぽかんと目の前の男を見つめた。
 誰のものになるだって?
「ば…馬鹿言うなよ、俺達は、主のもので……」
「ははは、よきかな、よきかな。それに主殿からは了承をもらっている」
「な……」
 それは。
 また主から、見放されたということだろうか。
「勘違いするでないぞ」
 三日月が加州の考えを透かし見たように言う。
「主殿は贔屓をなさらぬ方だからな。万全に全員に目を配ることが出来ぬゆえ、隊長と名高いそなたを支えてやって欲しいと、そう頼まれただけよ。主殿は決してそなたを忘れてはおらぬよ」
 実際、本丸を任されているだろう、そういっていつものように、三日月は、はははと笑った。
 加州はなんと言っていいのか解らず黙り込んだ。
 信じて、いいのだろうか。その言葉を。忘れられていないという言葉を。
「さて」
 言って三日月は縁側から立ち上がる。ゆっくりと離れていった手の感触を、どことなく寂しいと感じたのは己の気の迷いだろうか。
「それでは、また機会があったら年寄りの繰り言に付き合ってくれ。それと、」

「私のものになる覚悟を決めてくれ。まあ、急ぎはしないがな」

 最後に爆弾発言を残し、加州が反駁するより早く廊下を曲がっていってしまった背中に、それでもなんと答えていたらよかったのか解らなかったことに気づいて加州は悶々と頭を抱えるのだった。

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2015/01/26

からり、と小気味良い音を立てて障子が開いた。
 ただ次の戦のために史料を漁っていた私は、明るく差し込んできた光に瞬いて、そこへ立つ長身の男を見上げた。
「主よ、少し話そうか」
 にこり、と人の良さそうな顔で微笑うこの男は、三日月宗近という。十一世紀の末に打たれたという彼は、私からしてみれば率いる刀剣の一人とあれどもどこかその前に立つと改まってしまう存在だ。他の刀剣ならば時はあるかと訊いてくるのだが、こうした態度にも、不満よりは恐縮さが先立つ。威厳、とでも言うのだろうか。
「……何でしょうか」
「まあ急ぐ話ではないよ」
「では茶でも入れましょう。菓子はありませんが」
「構わぬよ。突然押しかけたのはこちらなのだからな」
 良く言えば鷹揚、マイペースなこの男にも、やはり仕事の邪魔をした意識はあったらしい。
 とはいえ何もなくては間の繋ぎに困る。
 私は立ち上がると、暖を取るためにつけてあった熾火の上にかかった鉄瓶をとり、棚から急須と茶葉を取り出した。
「悪いの、主殿よ」
「慣れておりますから」
 己で淹れるのには慣れたものだが、人に振る舞うとなるとまた勝手が違う。急須に茶葉を二人分いれ、取り出した湯のみにそのまま湯を注ぐ。こうして茶器を暖めながら湯を適温にするのだ。
 何気ない視線を感じながら、それで、と私は切り出した。
「このたびは何の御用でしょう」
「まあ一息ついてからでも良いではないか」
 あっけらかんと返されて、仕方なく私は茶を入れることに専念した。
 茶器の中で湯ざましされた湯を急須へと注ぎ、わずかに揺らしてから互いの器へ均等に注ぎ分ける。最後の一滴まで注ぎ終わると、それを盆に乗せて文机へと運んだ。
 散らかった文机の上の史料を寄せてーー随分乱雑な扱いだが、これも現世に戻ればどれもこれも価値のあるものばかりだーー一つを相手に、もう一つを自分の側へと配する。
「どうぞ」
「では、頂くとしよう」
 平安のキオ続地味対象を身にまとった男は、所作もまたそれに似合って典雅な手つきで茶を口へと運ぶ。一口飲んで、にこりと笑った。
「主殿は茶を入れるのが上手いな」
「歌仙殿などに比べれば、まだまだです」
「しかし丁寧で思いがこもっている」
 そう言って、三日月は僅かに首を傾げた。
「加州のことも、同じように丁寧に扱ってやれはしないかね」
 突然にその名を出されて、私は息を呑んだ。
「決して……粗雑な扱いをしているわけではありませんが」
「だがあの者が望んでいるのは今のような扱いではないだろうよ。そのために加州がどれだけ尽力しているか、知って居るのだろう?」
 私はただ黙るしかなかった。
 愛されているだろうか、とこぼす加州。その声に応えてやらなかったのは、刀剣に己がなにか影響を与えることで刀剣を歪める恐れがあったからだーーなどというのは言い訳にすぎない。
 私は恐れているのだ。彼らに深く踏み入ることで、この使命を終えた時の別れの傷が深まることを。既に手遅れであったとしても、この気持は愛であって決して恋にはならないし、またそうなることを望まれていないだろうとも勝手に思っていた。
「……贔屓は、よくありませんので」
「しかしな、主殿。このままではあの者はいつか擦り切れてしまうよ」
 そう言って三日月は、もう一口茶を口に含んだ。
「それとも、主殿が出来ないのならば、私が愛しても構わぬのかな、加州清光を」
 予想外な言葉に、私は驚いて我知らず俯いていた顔を上げた。
 目の前の男は、最前と変わらずどこか飄々とした態度で人好きそうな笑みを浮かべている。
「……私の、口出しできることではありません」
 そう言うのが精一杯だった。
 愛を求めるあの男に、私は望むものを与えてやれない。
 だが、もし、それを与えることができるものが居るとすれば。同じ刀剣同士ならば。
「いいえ」
 言葉は自然と口をついて出ていた。
「もし、貴方がいいというならば……加州清光をおねがいします。私には、出来ないことがあなたには出来ますから」
 そうか、と三日月は頷いた。それを見て俯いてしまった私には、もう彼の表情は見えない。
「茶が冷めるぞ、主殿よ」
 三日月の言葉で、私はやっと目の前の茶器を手にとった。
 温かいそれとは裏腹に、含んだ深蒸し茶は苦い味がした。

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2015/01/25

乾いた空風が頬を撫でていく。
 ここは維新が時、鳥羽の地だった。
「ここが……鳥羽……」
 ポツリと聞こえた呟きに、加州はわずかに眉をひそめた。
 ああ、そうだ。ここが鳥羽だ。加州の最後の主となった新選組が隊士、沖田総司が望んで、けれど来られなかった戦場だ。
「何湿っぽくなってるのさ。うざいよ?」
 加州とてこの地に思うところがないわけではない。だからこそ、それを素直に口に出した、口に出せる安定に苛ついたのだ。
「だって……沖田君とは、結局一緒に来れなかっただろ」
 そうだ。後に歴史に残ったという池田屋の襲撃の際に喀血した沖田は、結局負傷によりこの戦場へと来ることが出来なかった。
 沖田の剣は勇猛の剣と称され、一足の踏み込みで三度突く、三段突きは幕末の志士達に恐れられたものだった。
 加州も安定も、刃毀れし、曲がって鞘に収まらなくなるまで使い込まれた沖田の愛刀だった。兄のように慕った同士の首を落とした時にすら使われた。
 戰場ではいくらでもあの人を守ってやることが出来た。どんなに酷使されようと、それが刀剣として生まれた己の本分だと思っていたし、だから戦の途中で折れようとも構わなかった。
 だが。
 大阪へと療養へ護送される途中、主は、沖田総司は肺結核を発症した。
「…そうねー。あの人、お前みたいな使いにくい刀好きだった分、体弱かったもんね」
 加州も安定も、病だけはどうしてやることも出来なかった。
 苦しげに咳き込む主の掌を、血がしとどに濡らしていくのを見るのは、いつ折れるかわからない戦場での恐怖とはまた別の恐怖があった。
 その恐怖を沖田も感じていたのだろうか。最後に近藤に見舞われた時には、あの沖田が声を上げて泣いた。刀剣である加州達には、その心中を図るのは無理だと最初から諦めていた。だが、あの時の沖田も、また、某かの恐怖と悔しさを抱えていたのだろうか。
「使いにくいのはお前も同じだろ」
 吹っ切るような苦笑とともに返す相手の胸中を慮ることは、加州には出来ない。
 同じ思い出、同じ思いを共有していても、加州と安定の性質は似ているようで対のように逆だ。
「……そうね」
 迷った末、同意だけにとどめた加州を、安定が不思議そうに見つめる。
 溢れそうになる思いを押し込めて、加州は天を仰いだ。そこには抜けるような蒼穹が広がっている。地上のかつての腥さなどまるで届かぬように。
 沖田も、そんな場所にいるのだろうか。
「ったく、俺たちみたいな刀の主は、長生きしてくれなきゃ迷惑だよ……」
 以後の沖田は体調の悪化により前線に立つことはなくなり、その一年後、千駄ヶ谷で逝去した。
 師と仰いだ近藤の死を知らぬまま逝ったのは、幾ばくか幸せだったかもしれない。尤も、それも刀鍛冶に出されたものの修復不可と言われ差し戻され廃刀となった経緯のある加州は、半ば伝聞でしか知らない話だ。
 ただ、当時から長生きはしないだろうという予感はあった。
 普段は冗談を言っては笑い、童とともに遊ぶことすらあった沖田は、それとは裏腹に剣を握れば人が変わったように苛烈であった。
 刀で斬るな、体で斬れ。そう教え、色白で小さな男でありながら師の近藤すら恐れさせたほどの激しさを持ったあの主は、その苛烈さ故に、早く命を燃やし尽くしてしまうだろうと、薄々そう思っていた。
 だから、刀剣としての最後を迎えるまで仕えられたことは、僥倖だったと思っている。あの稀代の剣士に仕えられたのだから、折れても本望ーーそう、思っていた。
「おまえはさ、あの人、どう思ってたわけ?」
 ポツリと口をついて出た言葉は何故だったのだろう。
「うん、尊敬してるよ。本当に、惜しい人だったし……」
 そう、と加州は気のない素振りで俯いた。
 安定が、生前の沖田を尊敬していることは痛いほどわかっている。こうして付喪神として人の形をとった今も、何処か沖田の面影を残した姿を見ていれば何も言わなくてもわかる。
 それが、沖田の死に付き従った安定と、最後まで一緒に入られなかった加州の差だ。
 稀代の才を持った剣士は夭逝するだろうーーそう心のなかで思いながらも、どこかで生き延びてほしいと思っていた。その姿の具現が、おそらく今の加州の容姿なのだ。
 お互い未練だよなぁ、思っては口にせず、加州はただ安定と同じように鳥羽の地を見やった。
 主の代わりにやってきた、この鳥羽の地を。

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2015/01/23
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