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2024/09/23

 ぼんやりと開いた目には、薄墨色の空に残る星が映った。背中側には硬い地面の感触があって、自分が寝転がっているのだと知れる。いつの間に眠ってしまったのだろう?
「まだ夜明け前だ。もう少し眠っていても構わないよ」
 昨日は散々駆けたのだから、とそんな風に最近憶えた声が言う。
 この声は誰だっただろう。いつもの、落ち着いて安定した懐かしい声音で呼ばれたなら、きっとその声が目覚めを促すものでも安心して眠ってしまうのに。
 起きなければと思うのだが、聞き慣れた声でなくても今は意識が眠りの中に落ちていきそうで、随分酷使した人の体には疲労が残っているようだと、まだ半分微睡みの中でマキシは思う。
 一体何をそんなに疲れることをしたんだっけ。そうだ、羅震鬼と戦って、天使を追いかけて駆けて。何で天使を追いかけていたかって、そう、メリルが。
 思い出したら目が覚めた。
 思わず起き上がりかけたマキシの額を、やんわりと金環をはめた腕が押しとどめる。
「何処へ行く気かね」
 反射的に額へやった手を逆に掴まれて、それがどういう意味かを頭が理解する前に続けざまに言葉が放たれる。
「まだ賢者殿もアゼルも寝ているよ」
 そこまで言われてやっと、はじめに言われたように今が夜明け前で、守ってやらなければならない仲間がいて、何処へメリルを助けに行けばいいのかさえ解らないことを思いだした。
 メリルを追って散々駆けて、撒かれた後も天使達の飛び立った方向へ痕跡を探して散々歩いたけれど、結局天使のものとも鳥のものとも知れない羽毛を拾っただけで、手がかりもろくになく夜になってしまった。どうすることも出来ないのだ、今は。
 そこまで頭が理解しても、じりじりとした気持ちは消えない。わだかまる心を吐き出すように溜息をついたマキシを、落ち着いたと判断したのか、傍らに腰を下ろしていたミロクはマキシの手を放す。人肌の温度が離れれば、掌は夜気の温度を拾ってやけに冷たい。
「……眠れないでも、まだ横になっていると良い。どうせ今日も歩き回るつもりだろう?」
 言葉尻は疑問の形だったが、ミロクの声には確信の響きがある。どうやらマキシの考え方は大体把握されてしまっているらしい。
 たった数日前に出会ったばっかりなんだけどな、そう思ってからマキシはふと気付く。そういえば彼はいつからここにいるのだろう。
「ミロクは……見張り?ちゃんと寝たのか?」
 寝転がったまま、マキシはミロクの方へと少し顔を傾けて問う。少しの間答応えはなくて、まさか聞こえなかったのだろうかとマキシが視線を上げるより先に、マキシのそれより大きな掌が降りてきて、頭をかき回す。
 多分、誤魔化されてる。
「……寝てないの?」
 確認すると、髪をかき回していた手がゆっくり止まる。じんわりと指の温度が伝わってきた。
「……平気だよ、一日くらい」
「平気でも休んどけよ。何なら見張り替わろうか?」
「それは駄目だ」
「何で」
「私がこうしていたいから」
 ミロクの答えに、何かそこにいて楽しいことでもあるのだろうかとマキシは考える。少なくともマキシにはこれといったことは思いつかない。
「……ミロクって変わってる?」
「どうだろうね。だが好いた者の傍に居たいと思うのは自然なことだろう?」
 好いた。マキシは口の中で繰り返す。それは、そうだ。変なことでも何でもない。
 けれどマキシは、未だに彼等がゼロニクスではなく自分を選んでくれたことが不思議でならない。自分を卑下するわけではないが、ゼロニクスは良き兄弟子で、出来た神だった。聞けば残りの羅震鬼の大半は、ゼロニクスに従っているという。何故ゼロニクスには従わなかった四人がマキシに力を貸してくれたのか――傍らの彼は、問えば教えてくれるのだろうか。

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 眠りを妨げないように、出来るだけそっと、注意深く、ゼロニクスは金色の頭を撫でた。倒木に腰掛ける彼の胸(そう、肩ではなく胸だ)には、金色の髪に黒く仰々しい角を生やした子供が頭を預けて眠っている。
 見下ろすゼロニクスの視線の先で寝息を立てる姿はいかにも穏やかだが、ただの子供と侮るなかれ、この子供の正体はゼロニクスと同じく、近ごろ生まれた神であった。しかもただの神ではない。古の時代に生まれていたならばおそらく破壊神の傍にあって一柱となったであろう、闘いの性を持つ神だ。その証拠に、孤独に生まれ落ちたこの子供は、住まうのは獣だけという山奥で、力余って乱暴な振る舞いをしては、猛獣のように辺りを荒らしていた。この倒木も、先ほどこの子供が倒した物だ。
 その行いといえば、ついには近くに住む者達に恐れられて、討伐の嘆願まで出ていたほどだが、おそらく子供に悪意はないのだ――と思う。
 神力を押さえ込んで近づいたゼロニクスに気付いた瞬間の子供の顔――涙を拭った顔に浮かんでいた驚きや気まずさや警戒と、そして喜色は、決して嘘ではないはずだ。
 涙の訳を問うたゼロニクスに、子供は、困り切って、ここには獣しか居ないから、と答えた。寂しいという言葉も知らない子供に悪意はなかったと、ゼロニクスは信じたい。
 泣き疲れて話し疲れた彼が目覚めたら、ゼロニクスはここを発とうと思う。もちろん、この子供を連れて。この子には多分、手を握ってくれたり、話しかけてくれたりする相手が必要だ。
 師であるアフラノールはまた、ゼロニクスの顔を見て、困った奴だ、と言うだろうが、きっと面倒を見てくれるだろう。未だゼロニクスが分別も付かない頃には、よく動物を拾ってきては困った顔をされたものだった。それでも師はゼロニクスと一緒になってそれらの面倒を見てくれたのだが、その度に師はゼロニクスに言った。

 お前が孤独な者を放っておけないのは解る。彼等に対して尽力するのも、お前の生まれ持っての性と神格がさせるものだろう。だがゼロニクス、お前が手を差し延べた者は、いつか誰かとの繋がりを作って、お前の手から離れていくぞ。だからといって救える者まで見放す必要はないが、手を離れる瞬間を見守れる覚悟は持っておけ。

 多分この子供も、こうして手を取ったゼロニクスの手を放して、他の誰かに手を差し延べる日が来るのだろう。
 そんな嬉しいような寂しいような日が来ることを、ゼロニクスはこうして手を差し延べる日から考えてしまっている。

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2009/05/22
 Fiends

 遙か昔にこの地で朽ちるはずだったという男は、まるで幽鬼のような姿で眼前に立っている。

 しゃきん、まるでふざけているような軽い音が、アクベンスの握る鋏の先で鳴る。半ば仰け反るようにして半歩退いた男を、更に左の鋏が追った。凶悪な金属の顎が閉じられる、寸前に男は背後へ跳んで逃げる。
 水飛沫を上げて着地し、片膝をついた男は、次の瞬間には既にその手に雷の矢をつがえている。
 矢の間合いには短く、一気に踏み込み刃を突きつけるには些か長すぎる距離をおいてにらみ合う両者の間に、逃げ遅れて断ち切られた青い髪が数本舞って、水面へと落ちていった。
 男の手の中で、雷は矢の形を取ったまま弾けるような音を立てている。特別な鋼で出来た弓を握る腕は、狙いを定めたまま――そう、眼前のアクベンスへと定めたまま微動だにしない。
 だが不用意に動けないのはアクベンスとて同じだ。あの雷光の矢は一つ受けただけでしばらくの間身動きできなくなる。だが、一矢撃たせてしまえば、次をつがえる前に、相手は踏み込んだアクベンスの殺傷圏にはいる。そのためにはなんとしてでも一撃を避けなければならない。アクベンスは眼前の男に集中する。
 日に焼けた風の肌は、青白い雷光が映りこんで褪めた色に染まっている。不穏な風に煽られる布地の多い装束は、今では書物の中にしか見られない酷く古風なものだ。現実味のない光景の中、表情を消した男の顔の中で、唯一瞋恚を宿した瞳は雷光を映し、この世の者ではないかのように爛々と光る。
 ――幽鬼のようだ。
 そう、既に「ないもの」として扱われていた遙か古の亡霊が、アクベンスの前に立っている。
「……髪の次は右腕がいいか左腕がいいか、それとも首から落としてやろうか」
 何かしらの動きを誘うべく問うたアクベンスに、だが思惑に反して男は不快がる様子も見せず、逆にアクベンスを挑発するように口角を吊り上げた。
「……は、既に亡い皇帝の命に従うだけの亡霊が、随分大した口を利くではないかね」

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「月見にしては浮かない顔だね」
「……何の用だね」
「今日は随分邪険だなぁ。用はないけど、強いて言うなら君が落ち込んでるかと思って」
「……慰めのつもりなら、酒でも持参したらどうだ」
「嫌だよ、泣かれたら困るじゃないか。僕はそんなのはごめんだ」
 羽毛の軽やかさでミロクから少し離れた屋根の上へと降り立ったホルストは、そう言って冗談めかして笑う。
「それに、僕は君がここで大人しくしているかどうか見に来たんだ。酒精なんて与えたら、また勝手をしそうな奴に、そんなサービスは出来ないよ」
 先刻のことを持ち出されて、ミロクは不機嫌そうに小さく鼻を鳴らす。
「気を揉まずとも、マキシと姉上に止められて、言うことを聞けぬほど身勝手ではないさ」
 ミロクはそのまま姿勢を崩して、屋根の緩い傾斜の上で寝転がってみせる。
 留められたからという理由もあったが、実際の所、ミロクは今ひどく疲弊していて、何をする気にもならないのだった。
 一時体中を支配した眼も眩むような怒りは、袖の上からでも伝わってきた、腕を掴んだマキシの体温だとか、悪友達の短慮を責める言葉や帰りを喜ぶ言葉で、なんだかすっかり醒まされてしまった。
 自分だけではどうにもならなかった猛烈な感情が去ってみれば、後に残ったのは怒りに燃え尽きた分すり減った気力で、ミロクはひどく疲れてしまったのだ。
 怒りの種はけっして消えたわけではないのだけれど、今は燃やす物もない。
 なら良いけど、言ってホルストはミロクに近づいてくる。ほんの数歩分しかなかった距離はあっという間に縮まって、ミロクはホルストに覗き込まれる格好になった。
「とりあえず、また君がいつか考えなしな事を起こす前に、一つ言っておこうと思うんだ」


「君が死んだら、僕は君の事なんてきっと忘れてしまうよ」


 まるで今までの冗談の一部のような軽さで落とされた言葉に、ミロクは思わず視線を上げる。
「解放されてすぐの頃の話は話しただろう?僕はね、あんなに良くして貰ったのに、もうあの女の子達の顔も名前もろくに覚えては居ないんだ。だから目の前から居なくなったら、君のことだってきっとすぐ忘れる」
「死者のことなど、早く忘れてしまうに限る。私はそれで構わない」
「そういう意味じゃあないんだよ」
 ホルストは首を横に振って、少し言葉を選ぶように考える。
「……僕は君を忘れたくないんだ。だから迂闊に死ぬようなことをしないでくれ」
 落とされた言葉に、ミロクはホルストを見上げたまま瞬いて、……けれど、結局、密やかに溜息を吐いてから、思うのとは別の言葉を吐き出した。
「……それは、あの彼女には言ったのかね?」
「フレリアーナのことかい?言うわけないだろ、恥ずかしい」
 では今の台詞は恥ずかしくないのかとミロクは思ったのだが、この悪友が珍しく真摯な言葉を吐いたのに免じて黙っておくことにした。
「それに彼女はね、君みたいな、風に揺れる柳みたいな性格じゃないんだよ。怒るのだって、何か憑いたみたいに怒るんじゃない。彼女はもっと強くて可愛くて激しいんだ。こんな事言ったら失礼だろう」
「私に対してはだいぶ失礼だな、君は」
 お互い様だろ、言ってホルストはその場に腰を下ろした。

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 Pisces

 巻き込むまいと思って手を放したことを、とても後悔しています。



 ここはどういう場所なのでしょう?
 とても暗くて冷たくて静か。そよとも空気が動かない。
 時間さえもきっと動いていないのでしょう、だってずっとこうして眠っているのに、朽ちることがないのですから。

 永劫これが続くのなら、なんて寂しい場所なのでしょう。


 貴方は今どうしているのでしょう。
 朽ちてしまいましたか?
 まだ私を捜していますか?
 それとも折角手を離したのに、貴方もまたこんな場所にいるのでしょうか?


 指先でも良い、貴方に会いたい。

 貴方の手を放したことを、とても後悔しています。

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2009/03/20
 音叉

 彼が人ではないことはすぐに判った。
 いかにも質の良さそうな白い服を纏った彼は、珍しい色の濃い肌をしていて、その肌色とは対照的にうっすらと灰色がかった髪は銀色をしている。そしてその前髪に少し隠れた額には、彼が人でないことを示す、赤い石が嵌っているのだった。

 (――あ。なに……?)

 その姿を見た瞬間感じた奇妙な既視感に、今まで感じていた不安も一瞬忘れて、メリルは瞬く。
 (私、この人を知ってる……? ううん、そんなはず無い、こんなに存在感のある人を忘れるわけない。)

 思いながら、メリルはそっと視線を逸らして顔を伏せる。神族や魔族の中には、時折額に3番目の眼を持っている者がいるのだと神話は言う。そしてその第三の眼には、大抵不思議な力が宿っているのだと。それに、他人の顔をあまりじろじろと不躾に見るものではない。
 その仕草をどう取ったのか、わずかに間をおいて、座りなさい、と声が落ちてきた。視界の端に映った手袋に包まれた手は、数歩離れた場所にある椅子を示している。
 その椅子が、どう見ても応接椅子で、しかも古びてはいるが手入れされた柔らかそうなクッションまで乗っているので、メリルはすっかり戸惑ってしまった。
 戸惑って、椅子と、彼の手とを見比べる。けれどどう取っても彼の発言はメリルに向けられたもので、彼の手は疑いようもなく椅子を示していて、散々迷ったあげく、メリルは慎重に椅子に近づいて、言われたとおり、座った。
「……顔を上げてくれないだろうか」
 言われてメリルはそろそろと視線を上げる。少し怖かったが、言うとおりにしないのも怖い。それに、どうやら目の前の彼は、メリルや村人を襲って食べてしまう羅震鬼達とは違うようだ。
 いつの間にか彼は、向かい側の椅子に腰掛けていた。その彼と眼があって、濃い青をした瞳が少し細まる。なるほどな、と彼が呟いたけれど、メリルには何のことか判らなかった。
「――俺の名はゼロニクス。今は神力を抑えているが、マキシウスと同じく神で――彼の友人だ」
 友人。この人――否、神様が。
 その一言はメリルを驚かせるのに十分だったが、それでもその事実は、ひどく自然に胸の内に落ちて、前からあったことのようにそこに溶けこんだ。
 (ああ。そっか。)
 気付いてしまえば、最前からの緊張が、少しだけほぐれた。この人は嘘を吐いていない。この人は、マキシ様の友達だ。

 (この神様が懐かしいのは、マキシ様の魂が、懐かしがってるからだ……)

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 静かな夜だった。星々の光が不気味に強く、けれど闇の濃い、生き物の気配をそこかしこに包容した濃密な夜。
 ふう、と雨期を過ぎて夏に向かう頃特有の、湿気を含んだ生温かい風が吹く。ごくゆるい風は梢を揺らすことすらなく、押し黙ったような生き物たちの間を抜けてゆく。虫の声すらない静寂は故無いことではない。彼等は知っているのだ。

 ――それは、見る者があったなら、空間が引き裂けたように見えただろう。何もなかったはずの中空が、陽炎のように歪んで、裂ける。星の光が歪む。破ける。裂け目に爪を立てるようにして、「ない」はずの場所から入り込んでくる影。
 そして、姿を顕したのはまさしく今宵に相応しい百鬼夜行であった。


 まったき月夜だ、と誰かが言った。
 その誰かの視線を追って、或いは土埃のない清浄な大気を吸い込んで、ああ、とまた別の誰かが感嘆の息を漏らす。もしかしたらそれは己だったのかも知れない。同じように誰かが歓びと安堵の入り交じった声を上げた。そうしてため息とも歓声ともつかないざわめきが、ゆっくりと拡がってゆく。
 怯えたように、小さな生き物たちが逃げてゆくのがわかる。この世界に生きる生き物だ。多分、もっと大きな生き物もいる。未だ敵意さえ見せていない相手から先を争って逃げていくような生き物が、この世界の覇者であるわけはない。生き物がいるなら、そこには必ずそれを喰う者を頂点とする階級が作られてゆく。階級の頂点は、もっと強く、賢く、大きな生き物のはずだ。そこまで考えて少しだけ不安になる。この世界に君臨する生き物と戦って、私達は生き延びられるのだろうか?
「――生き物が多いな」
 同じようなことを考えたのだろうか。誰かが言った。たった108の同胞も、声だけでは誰なのか解らない。
「追いやれ。屈服させろ。どうにかして我らの土地を手に入れなければならない」
 同調するように、そこかしこで声が上がる。牙を咬み鳴らす音が、大地を蹴りつける音がする。
「戦いだ」
「狩れ、喰らえ」
「弱き者の上に強き者を」
「戦いだ、戦いだ!」
 でも、と今度はもっと優しげな声をした誰かが言う。
「この世界の生き物を滅ぼすわけにはいかないわ」
「調和の崩れた世界がどんなのか、もう我等は知っているはずだ」
「どこまでは良くて、何をしては駄目なのか、それを見極めなくては」
 ふん、と白けたように誰かが鼻を鳴らす。
「そんなことはどうでもいい。だが腹が減った」
 わぁ、と歓声にも似た響きの応えと鳴き声とで賛同の声が上がる。
「狩りに出よう、同胞よ。生き延びるためには食餌が要る」
 声を合図に、いくつかの個体の気配が四方八方へと散ってゆく。やれやれと肩を竦め、顔を見合わせるものの、止める者は居ない。
 喰わなければいずれは死あるのみ。むしろ今まで同胞殺しや共食いが起こらなかったことこそが奇跡に近いくらいなのだ。
 ただ、肩を竦めた彼等は、逸って獲物を探しに行った者達よりは空腹を押さえつけておける理性があり、己と似たものを喰わず、獲物を生きたまま頭から囓るような文化を持たないだけだ。

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2009/03/02

 橙色の大きな太陽が、ゆっくりと落ちてくる。
 赤く黄色く燃える夕日は、透明で強烈な橙色の光を放ちながら、溶けるように歪んで、地平の下へと沈んでゆく。


 足音が止まったのに気付いたのだろう、前を行く長身が振り返る。普段は白で統一された彼の姿も、今は橙色の光の逆光の中で、黒い影になっている。白銀の髪の端だけが、赤い光を透かしてまるで燃え立つようだった。
 突然立ち止まったマキシにも彼は不審そうな顔をするでもなく、少しだけ眼を細めて、彼は腕を上げた。
 剣を掴むのとも、襟を直すのとも違う軌道で上がった腕は、半ば程で止まる。そう、マキシの視線の少し下くらいの高さで。
 自分に向けられたてのひら、差し出された腕と、彼の表情の意味が解らなくて、マキシはそれを交互に見比べる。
 けれどどうしようとマキシが困って、長く伸びた影へと視線を落としてしまう前に、まるで躓いた先で待ちかまえて支えてくれるようなタイミングで、彼はおいで、と言ったのだ。
 相変わらず優しくもぶっきらぼうでもない声だったけれど、それでもなんだかそれがとても嬉しくて、マキシは土埃のついた手を拭って、その掌を握り返した。



(おいでって差し出された手を、あの頃は未だ、何の疑いもなく握り返せたんだ)

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2009/02/17

「――けれど、」
 俯いてたままの少女に、ミロクは語りかける。面倒な説得をする気はないから、ただ真実だと思うことだけ口にする。

「今彼が考えを決めるのに必要なのは、私達ではなく君だよ」

 悔しいことにね、最後の言葉だけは呑み込む。
 嫉妬と呼ぶにはあまりに諦観めいた、それは一抹の寂しさだった。
 自分達は常に側にあることは出来ても、畢竟、彼の傍らにあるには相応しくはないのだ。戦場に赴く鬼の性を伴侶にするほど、彼は修羅ではない。
「行っておあげ。同じ魂を持つ君が、彼の側にいなくてどうするのかね」
 後半はどうにも締まらない理屈だとは思ったが、あえて飄々としたまま口に乗せる。それが例え屁理屈だろうが、理由があった方が人は動きやすい。そう、ミロクもメリルにマキシを追って欲しいのだ。迷いも悩みも、すぐに答えを見つけることばかりがよいとは限らないことは知っている。けれどマキシの悩みを解きたいのは、結局ミロクも同じなのだ。
 そら、言って空いた片手を小さく掲げる。掌に、指に、ぱちぱちと小さな雷が生まれる。小さな花火のように光ったそれは、やがて彼が射る矢のようにひとところへ――今回は、彼の掌の上へと収束して、小さな光球になった。足下を照らすのにはもう少し大きい方が良いが、あえて蛍のような大きさにしたのは彼の趣味だった。季節外れではあるが、これくらいは良いだろう。
 それはふわ、とミロクの手を離れて、木々の合間の闇と、メリルとの間で旋回する。
 少女はそれをやや戸惑ったように見つめていたが、やがて、火の番をお願いします、と言って、闇の中へと向かっていった。
 木々の合間へと消える直前、あ、と少女が振り返る。
「明かり、ありがとうございます」

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  蛍火

 マキシ様が戻ってこない。

 小さく焚かれた火の側で、メリルは所在なげに手を組み合わせる。
 ゼロニクスと二人きりでの話から戻ってきてすぐに、彼はキャンプから離れていってしまった。何を話したのかは知らない。気になったけれど、彼のとても難しそうな表情を見たら訊けなくなってしまった。巫女であり、今は精霊達の力も借りることが出来るメリルには、彼がそう遠くない場所にいることが解るのだけれど、あの表情を見た後では追うことも躊躇われた。
 本心を言うのなら、追いたい。
 だって、きっと神様は悩んでいる。自分では悩みを解く助けにはならないかも知れないけれど、寄り添うことは出来るのだ。今まで祈りを捧げてきたように。
(……でも、)
 行く資格が、あるだろうか。
 自分が攫われたことで、多分彼は酷く傷ついたはずだ。最初に間に合わなかったという負い目からか、彼はメリルをとても大事に扱ってくれる。けれど、二度目もメリルは自分を守れなかった。
 そう思うと、彼の元へ行くのは果たして正解なのだろうか、そんなことを考えてしまう。
 メリルは振り返る。ずっと炎を見つめていた眼には木々の影が見えるだけで、その向こうは塗りつぶしたような闇だ。この向こうにたった一人で彼が居る。

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2009/01/28
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