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2024/09/23

 それはもはや、一つの合図のようになりつつある。


 褐色の指が前触れもなく目の前まで伸びてきて、反射的に目を眇めた。
 像がぼやけるほどの近く、ついと鼻先を掠めて、褐色の指が金属製のブリッジを摘む。
 そのまま眼鏡が引き抜かれて、途端に変わった視界に瞬いた。
 視界に映る、硝子越しではない生の世界は全てがぼやけて、ただ間近に覗き込んできた彼の表情だけがはっきりと見える。
 その瞳にうっすらと満足げな色を宿して、そうして彼は口づけを施すのだ。
 


 それは、彼にとっては世界を見るための大切なパーツだ。
 だからそれを取り払ってしまえば、もう彼の世界の輪郭は曖昧になってしまう。
 瞬いた瞳の瞳孔がほんの少しだけ小さくなるのを見つめて、彼が見えているものが自分だけになればいいと思いながら、口づけと甘ったるい言葉を落とす。

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 今回は相当女性向け成分の濃い話なので、そう言うのが駄目な方は絶対見ちゃ駄目です。
 多分R-15……くらいです。
 あんまり注意しろよ!と言って期待させてしまうのもどうかと思うのですが、とりあえず不快な思いをする方は極力減らしたいので、ご理解の程よろしくお願いいたします。

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「手伝、」
「いい。そこに居ろ」
 台詞を言い切る前に遮られた上、更には申し出を断られ、ミュルメクスの面に不満げな色が滲む。が、すぐにそれはかき消えて、代わりに浮かんだ気まず気な表情と共に、彼は深く嘆息した。
「……お前が警戒するのは解る。だが……あのようなことは、もうしない」
 曖昧な言い方になったが、それで充分通じたのだろう。僅かな間の後、小さな溜息を落として、ランビリスは振り返った。
「そういう言葉を信じたいのは山々だけどな。それの信用に足る根拠はあるのか?」
「……ある」
 入室までは許したが、口先だけの宣誓を無条件に信じられるほど、ランビリスは寛大にはなれない。自己嫌悪を感じつつも、試すような言い方で問えば、一拍おいて肯定が返った。返答の速さを少し意外に思いながらも、ランビリスは無言で先を促す。
「……お前は、心を求めて良いと言った」
 確かめるような声音で言われて、頷く。確かに、言った。――それが一番伝えたいことだった。
 それを海のような青い瞳で見遣って、ミュルメクスは口を開く。では、と僅かに声が重くなった。
「それは、お前の、でも構わないか?」
 思いがけない真摯さで紡がれた声に、ランビリスは一瞬言葉に詰まる。――だが、ミュルメクスの言は予想の内でもあった。
「…それじゃ不毛なだけだ」
 たかが一言二言の言葉で、恋情が消えるというのならこれほど楽なことはない。それは解っているから、ランビリスはただ説得を繰り返すだけだ。
「それに、何度も言ったはずだ。……俺は、」
「私が、」
 みなまでは言わせないとでもいうかのように、強い語調でミュルメクスが台詞を遮る。
「望むのは自由だ。……だが、願わくば望むだけでなく手に入れたい、と思う。お前の身も心も。だから、……強いないと約束する」

「改めて言おう。……私は、ランビリス、お前を愛している」





「……どうしてそうなる」
 困惑をにじませた呟きは、一人きりの部屋の中に力なく響いた。
「馬鹿だろうあいつ」
 それともたかが言葉だけで、人の気を変えられると思っているランビリスの方が愚かなのだろうか。
 誰一人聴く者の居ない呟きを落とし、ランビリスは深く深く息を吐く。
 本当に馬鹿だ。これは不毛な恋である。続けたところで実りがあるとは思えない。それは駄目だ、とランビリスは思う。
 結局の所。ミュルメクスからの恋愛感情は受け取れないが、それでもランビリスは、ミュルメクスの幸福を願ってはいるのだ。
 けれど、ミュルメクスがランビリスに恋情を抱いている限り、それは報われることはない。
 では報ってやればいいのだろうか―― 一瞬過ぎった思考には首を振る。そんな中途半端な行為は、今更ミュルメクスは望まないだろうし、おそらくはすぐに瓦解する不安定な関係にしかならない。余計な禍を呼び込むばかりだろう。
――幸せになって欲しい、と思う。
 ランビリスへの執着など止めて、別の誰かのことを愛して。多分ミュルメクスは、今度は人の愛し方を間違わないだろうから。
 そうして誰かと手を繋いで街にでも繰り出す方が、彼の若さにはよほど似合っているように思われる。
 その光景を何とはなしに思い描こうとして――過ぎった一抹の寂寥感に、ランビリスは困惑して瞬いた。瞬いて、まるで親気取りだと苦笑する。
 幸福になって欲しい。そう願うのに、この場に彼が戻ってこないことを考えると、空虚なこの場がこんなにも寂しい。
 いつの間にか随分と移っていた情を、ランビリスは漸く自覚した。

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 "Wait"

 今までにも、読みを誤ったとか、失策だっただとか、そんな風に思って後悔したことがなかったわけではない。国での立場を悪くしたのは仕掛け時を誤った所為だったし、このギルドに転がり込んだ当時は、何故寄りによってこんな口の達者な女の所へ、と己の選択を悔やんだ物だった。
 だがそれらはあくまで、吉と出るか凶と出るか不確実な選択だ。ならばたまたま凶を引き当てたのだと納得することも出来ようが、まさか純粋に良かれと思ってやったことを悔やむことがあろうとは思わなかった。
 目の前を塞ぐ白い装甲。
 じりじりとした気分で、ミュルメクスは確かめるように踏み出す。
 右に一歩。
 ウィ…ン。
 左に一歩。
 ウィ…ン。
「……おい」
 重々しい声を作るが、残念ながらこれは目の前の障害物にも、その向こうで作業に勤しむ背中にも通用しない。正確に言うと、後者は最近通用しにくくなった。それでも呼びかけには反応して、ランビリスは実に暢気そうな顔で振り向く。
「何なんだこいつは」
「ああ。ちょっと火薬使ってたから、そっから誰も近づけないようにって頼んだ」
「何もこんな仰々しいことをしなくても良いだろう」
「……いや、だって近付くな、って言うのを無視するのはお前くらいだろ?」
「私は犬猫か何かか」
「お前、待てが出来たのか」
「………………」
「そういうわけで、引き続き頼んだぞ、アクリス」
 ウィィン。
 金属の擦れる音とは違う、妙な音を立てながら姿勢を正すその様が、どことなく誇らしげに見えるのが尚更気に食わない。
 仕事を果たせるのがそんなに嬉しいか?
 ……嬉しい、のだろう。
 そう在ることが存在意義だと教えたのは、他ならぬミュルメクスだった。物だろうが人だろうが、理由のないものは憐れだ。だから動かして、動く理由を与えてやった。
 だからといって、小憎たらしいことに変わりはないが。この障害物め。起動させてやったのは誰だと思ってる。
 もっとも、そんな主張をしてみたところで、起動した人間と作った人間、どちらがより創造物にとって重要な存在かと言ったら、明らかに後者である。言うだけ無駄だ。
 複雑な面持ちで黙り込んでいると、ふと笑う声がした。
「悪かった、言い過ぎた」
 不意を突かれて瞬いていると、更に白い装甲の影から声がする。
「こっちの仕事はもうすぐ終わる。そしたら話し相手になるくらいはしてやるから。機嫌直せよ」
 機嫌を損ねて黙っていたわけではないのだが。ないのだが、最近はそんな緩い約束一つで、困ったことに、反論も不満もゆるゆると輪郭を失って溶けていってしまうのだ。
「……わかった」
 そう応じて、部屋の隅に一つだけ置いてあった椅子に腰掛ける。
 恋は盲目だなどと、何処の詩人の戯れ言かと思っていたが、なるほど確かに。
 躊躇うランビリスの代わりに電源を入れたのも、命を与えたのも、ランビリスを最も優先するよう言い聞かせたのも自分だ。けれどついさっき、ほんの一欠片ほどではあるが、ミュルメクスは確かに、『しなければ良かった』と思ったのだ。電源を入れなければ、命など与えず木偶のままにしておけば、誰の命令でも平等に聞くようにすれば――もちろんそんな考えは間違っていて、一時の情動に流された気の迷いでしかない。
 それを理解しているから、ミュルメクスは気付かれないよう息を吐いた。
 この感情は判断力を鈍らせる。そのうち何一つ正しいこともわからなくなって、狂ってしまうのかも知れない。
 けれど多分、その時にはもうそれすらも幸福なのだ。

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 こういう言い方は非常に不本意なのだが。
「……確認するけど、俺は一遍お前を振ってるよな?」
「……そうなるな」
 それには多少思うところがあるのか、僅かな間をもって発された返答に、ランビリスは密かに安堵の息を吐く。この前の一件で、どうやらこの王子様には多少ずれた、というか欠けたところがあるらしいことが解ったので、もしかして振られたことさえ解っていないのでは、なんて疑念に駆られていたのだが、そういうわけではないらしい。
「なら、望み薄の薹の立った男に執着するより、もっと若い女の子でも見つけようって思わ、な……」
 言いながら気付いた可能性に、思わず語尾が途切れがちになる。
 ――差別するわけではないが、仮に男にしかそういう興味がないのだったら、これはデリケートな問題である。あまりとやかく言うべきではない。
 おそるおそるミュルメクスの方を伺うと、こちらを注視している深い青の視線と眼があった。何故かふとその視線が緩む。
「――嫉妬などせずとも、男を好きになったのはお前が初めてだ」
 何か今とんでもないことを聞かされた気がする。いや、気がするだなんて言い方で現実逃避している場合じゃない。
「いや、今のはそういう意味じゃなくてだな……!」
 慌てて言い募るが、ミュルメクスの微笑は深まってゆくばかり、むしろ微笑の域を抜け出て完全な笑いになっている。
 そこでようやく気付いた。
「解りにくい冗談は止してくれ……」
 どこまで本気でどこまで冗談だったのかは解らないが、とにかく自分は遊ばれている。息を吐いて半分乗り出すようだった姿勢を正すと、ミュルメクスもようやく真面目に答える気になったのか笑みを引いた。
「まあ、今はお前以外に眼を向ける気にならないというのもあるが、」
 ……今度はどうやら本気らしい。頭痛がしそうだ、とランビリスは思う。いや、実際はまったくそんな兆候はないのだが、気分として。
「エフィメラは美しいだろう?」
「……は?」
 脈絡のない発言に、ランビリスは思わず問い返すが、ミュルメクスはそれ以上語る気はないらしい。
「あー……それはつまり、」
 美女は見慣れている、という事だろうか。
 確かにあれ以上の美人はなかなか居ないが。いやそうじゃなくて。
「いや、女を選ぶ基準は見た目だけじゃないだろ?」
「そうだな。見た目で選ばなくて良いなら、性別で選ばなくても良いと思わないか」
 王子様は色々な意味で格が違った。
 まさかそう返されるとは思っておらず、言葉に詰まったランビリスが反論を模索するのを、ミュルメクスはうっすらと笑みを浮かべて眺めている。ランビリスは、些か複雑な気持ちで、意地とたちの悪いそれを睨んだ。
 こんなやり取りをするようになったのは、ごく最近のことだ。あの一件があって、ランビリスが少しはまともな受け答えをするようになり、ミュルメクスがランビリスの反応を意識するようになり、
(……前より笑うようになったんだよな、こいつ)
 ランビリスが以前よりミュルメクスの様子を気にするようになった所為もあるにはあるのだが、それでも確実に頻度が上がった。どうも情緒面に関して問題のあったミュルメクスのこの変化は、喜ばしいものではあるのだが。
(それでも、どうもその原因が自分だってのはなぁ……)
 自分のやったことが、彼を良い方向に変えたというならそれは構わない。構わないが――どうにも今の状況は、ランビリスが居てこそのものではないか、という気がするのだ。
 もし、ランビリスがミュルメクスを好いていて、一生とは言わないまでも、長く彼の傍にあることが出来る、というのならばそれでも構わないのかも知れない。――だが現実はそうではない。
(荷が重いよ、俺には)
 だから――本当に、自分以外の誰かを、好きになってくれれば、良いのだが。

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「……この前、来ないでくれ、って言ったよな」
「私がどこで何をしようと私の勝手だ。指図される謂われはない」
「お前な、」
「だが、……お前が嫌だというなら、帰る」
「…………」
「……」
「待てよ。……椅子、隣の部屋だ。使って良い」
「……!」
「おとなしくしてろよ」

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 するりと回された腕が解かれる。すぐ傍にあった体温が離れてゆく。
 ソファが軋んで、彼が立ち上がる気配がする。それに伴って離れてゆく腕――それが去り際に、静かな仕草で頭へと置かれ、くしゃりと一度、ミュルメクスの髪を掻き回した。
「おやすみ」


――その声音を思い出しながら、ミュルメクスは寝返りを打つ。
 逆さまに視界に入った窓のカーテンは開け放たれたままになっており、南国の星達が淡く、或いはギラギラとそれぞれの強さで光っているのが見えた。それらを掻き消さんばかりに皓々と西の空に君臨している月が眩しい。星詠みではないミュルメクスには、南の空の星などはほとんど解らない。だからこうして眺めたところで、人の運命どころか明日の天気すら解らないのだが、彼は窓枠に半分かかった月を見上げて、眼を細めた。
 おやすみ、と言われたが、一向に眠りの気配は訪れない。
 あの後彼は家まで無事に帰り着いただろうか。月はまだ天頂近くにあっただろうから、さほどの心配は要らないとは思うのだが。
 それとも送っていけば良かったのだろうか、そこまで考えて、息を吐いた。
 浅はかだ、と心中で呟く。そもそもそんな申し出はランビリスは受け容れないだろうし、話すことすら見つからない、気まずい時間を過ごすだけだ。そう、――何か伝えたいことがあったなら、引き留めてでも告げていた。
 否、伝えたいことならあったのだ。あったはずなのだが、言葉にも形にもならなかった。
 掴めそうで掴めない「それ」の正体を探すことに飽いて、ミュルメクスは目を閉じる。
 月明かりをうっすらと瞼に感じながら、ランビリスの言葉の意味を考えた。
 ミュルメクス自身は、ランビリスを薄情だなどと思ったことはない。
 けれど彼自身は負い目に感じるようなことがあったのだろう。その負い目が耐え難く、それを重ねることを恐れて、好きになるなと主張した。
 けれど、ミュルメクスは彼が一体何にそれほど気にしたのか解らない。解らないのだから、自身にとっては些細なことなのだろう。ならば、ランビリスも罪悪感など感じることはないのだ。だから好きになってはいけないだなどと、そんな言い方をする必要はない――ない、はずだ。
 だが、ミュルメクスは思う。本当にそれだけだろうか。
 ふと、らしくもなく卑屈な考えが脳裏を掠める。忠告のような言い回しで、ランビリスは本当は――ミュルメクスを遠ざけたいのではないか?
 ランビリスが、この想いを歓迎していないことくらいは知っている。はっきりと口に出されたのは今日が初めてだったが、それに気付かないでいられるほど、ミュルメクスは鈍感でも傲慢でもなかった。
 けれど、それでも構わなかったのだ。
 ……苦しい。
 思考ではなく感覚でそう思って、ミュルメクスはぼんやりと目を開く。どこが、とは言い表せない。例えるなら、胸腔の奥が。呼吸は正常で、部屋の空気にも先ほどと変じたところは何もない。なのに胸苦しい。
 思考や呼吸を奪うほどではなく、それでも無視することは出来ない程度には、胸を圧迫するそれ。
 どこか覚えのある苦しさに記憶を探り、思い当たった瞬間思わず嘆息した。
 ああ、そうだ。
 これは、彼の体温を感じた瞬間、溶けて消えた痛みと同じだ。
 結局胸苦しさから逃れる方法が見つからずに、ミュルメクスはゆっくりと深呼吸をして――それでこの苦しさが解消されるとも思えなかったが――眼を閉じた。
 瞼の裏に睡魔の姿を願いながら、ミュルメクスはランビリスの言葉を――それからあの体温の名残を探そうとする。
 微かな、けれど確かに安堵にも似た幸福感をもたらした行為。
――与えられる温度が欲しかった。
 奪うのでもなく、感じるだけでもなく、与えられる温度が欲しくて仕方が無い自身をようやく自覚する。
 こちらを向いて欲しい。言葉を交わして、抱き締め返して欲しい? ランビリスの言葉を反芻する。そうして言葉にされた一つ一つの意味を理解する度に、自身の求めているものが明らかになってゆく。
 簡単なことだった。
 彼にこちらを向いて欲しい。言葉を交わして、彼を抱き締めて、抱き締め返して欲しい。そして皮肉なことに、ミュルメクスがそうしたいと願うのは、受け容れられないと言ったランビリスだけなのだ。求めるのは彼だけだった。彼以外は欲しくない。受け容れられないのだとランビリスは言った。なのにもっと彼の言葉が欲しい。
――これが心が欲しいということなのだろうか。
 今まで抑圧しきっていた欲求を、ようやく自覚したミュルメクスには、そこまでのことは解らない。解らなかったが、一つだけ確かなことがある。
 ランビリスの言ったことは、受け容れられない。
 忠告も主張も、何一つだ。これだけ渇望する願いを自覚してしまったのに、己の想いを封じ殺すなど、とても出来そうにない。

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「……俺はその気持ちを返せないけど」
 言いながらランビリスは、ここ数ヶ月の出来事を思い出していた。いつもは無抵抗と言うよりは無反応なランビリスをミュルメクスが勝手に抱き締めることしかなかったから、丁度逆転した今の構図は妙な気がして落ち着かない。
 思い返すには実に今更だったが、ミュルメクスに抱きつかれるときは、背中側からであることがほとんどだった。それはランビリスが何かを読んでいたり作業をしていたりで、目の前が塞がっていることが多いというのも理由の一つなのだろうが――まるで、抱き締めた後に自身の背中に回される腕を想定していないようで、勝手な想像ながら――勝手な想像、であって欲しいが――どこか痛々しい。
「こっちを向いて欲しい、話して、抱き締めたら抱き締め返して欲しいって思って良いんだよ」
 真後ろから腕を回したから、当然ランビリスの位置からは、ミュルメクスの表情は見えない。彼が何を考え、どう感じているのか推し量る方法がない。彼はこんな位置から自分のことを見ていたのだと思った。
「心には心を返して欲しいって思って良いんだ」
 偉そうなことを言うが、心を返すどころか、受け容れることも、はっきりとした拒絶を示すこともせずに、ただふらふらとかわし続けてきた自分は不実もいいところだ。中途半端なことばかりしている自覚はある。この抱擁ですら、ミュルメクスの気持ちを受け容れた故のものではない。だがこうでもしなければ、ミュルメクスは己の中に巣くう空虚さに気付かないだろうと――そう思ったのだ。
「だから、」
 そこで一度言葉を切って、間違いの無いようにはっきりと言葉を紡ぐ。
 告げなければならない。そうでなければ、きっとお互いをすり減らすだけだ。
「俺みたいな薄情な奴を好きになっちゃいけない」

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2010/06/11

 き、と背後のソファが控えめな軋みを上げる。――肩口に落ちた髪がかき分けられるような感触。不審に思ったミュルメクスが顔を上げるよりも、背後から伸ばされた腕が胸の前で緩く交差される方が早かった。そのままごく軽い力で後へ引かれる。それから後頭部にささやかに――衝撃と呼ぶにはあまりにささやかに何かがぶつかった。
――背後から抱きしめられている、と気付くには、少し時間が必要だった。
「……なぁ」
「――っ」
 頭のすぐ後で聞こえた声に動揺する。求めていた声がすぐ傍にある。そう意識しただけで、重く凝ったようになっていた胸に熱が宿った。それは瞬く間に痛みも息苦しさも駆逐して、今にも火を噴きそうに赤く光る熾火となり、胸の奥に潜む。
 どうして、という疑問よりも、回された腕の熱の方がよほど鮮烈だ。勝手にそちらへと引かれそうになる思考をかき集めて、ミュルメクスは何とか疑問を紡ぐ。
「どういう……」
 つもりだ、までは上手く言葉にならなかった。それで意図が通じたのか通じなかったのか、ランビリスは小さく声を上げて笑っただけだった。
「――こうしてると温かいだろ?」
 言われて、僅かに遠のいていた腕の熱をもう一度意識する。――温かい。多分、実際の温度以上に。
「お前は俺が気持ちを返せなくても構わないって言うが、そんなのは寂しいだろ」
 そんなことはない、と反駁しようとして言葉に詰まる。先ほどまで胸を蝕んでいた胸苦しさの名は一体何というのか、ミュルメクスは知らない。
「……そんな、ことは」
 乱れた心では、例え一時の誤魔化しだとしても、ない、と言いきることができない。不安定に消えた語尾では、まるでランビリスの指摘を肯定しているかのようだ。違う。そうではないのだ。
「お前が居るのに、寂しさなどあるわけが、ない」
 いくらか滑らかに動くようになった舌でそう言うと、ランビリスが息を呑むのが解った。けれど驚きはすぐに戸惑うような気配にかわり、彼は溜息のような言葉を紡ぐ。
「……お前はもっと誰かを欲しがって良いんだ」
 その声音には、何故だか哀しげな色が混じっている。ミュルメクスには、彼の悲哀の理由は解らない。解らないが、自分に向けられた言葉に宿る感情の色を認めた瞬間、ぽつりとまた胸中に名状しがたい感情が生まれる。
「……私はお前が欲しいが?」
「そうじゃない。その、……体だけの話じゃなくて、」
 そこまで初心なわけでもあるまいに、自分のことになると気まずいのか、僅かに躊躇う様子を見せながらランビリスは語る。僅かにうつむき加減にそれを聞きながら、――唐突に、愛しい、と思った。
 彼が愛しい。幾ら寄り添っても、幾ら求めても、きっと足りないと感じてしまう。そんな予感を覚えるほどに。

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2010/06/11

「俺は何一つお前に気持ちを返せないのにか?」
 瞬間、胸中にわき上がった感情があって、ミュルメクスは瞬いた。
 何故、と自問する。
 今この場面で、心が動く理由がまったく思い当たらない。戸惑いながら突然宿った感情をたぐり寄せようとするが、正体を探り当てる前に、それは溶けるように消えてしまった。
 後には痛みだけが残って、ミュルメクスは心中で首を傾げた。短く、だが重く鈍い痛みを残したそれが一体何だったのか解らないまま、問いの意味を考える。
 彼は何故そんなことを問うのだろう。
「お前がどう思うかと、私がどう思うかは別の話だろう?」
 ミュルメクスが彼を好きになるのはミュルメクスの自由で、それに対してランビリスが何を思うかも彼の自由。それを制限する気もさせる気もない。
 そのはずだ。
 少なくともミュルメクスの中で、その両者は完全に切り離されている。

(だから投げかけた声に想いに、何も返ってこないことは、悲しむことではない。)
(初めから期待などしなければ)
(求めたものが得られない、苦しさも痛みも)
(何も)


――その、はずだ。
 どこか白茶けたような沈黙が流れ、やがて、ふ、と背後で大きな溜息が聞こえた。
 次いで、長椅子の軋む音。視界の端の影が床まで伸びて、ランビリスが立ち上がったのだと解る。
 ああ、と微かに嘆息が漏れた。
 話は終わった、そういうことなのだろう。
 引き留めたかったが、そうすることが相応しくない事も解っていた。振り向くことも出来ず、ミュルメクスは目を閉じる。今彼を視界に入れたら、きっと待ってくれと手を伸ばしてしまう。行かないで欲しいと縋ってしまいたくなる。――けれどそうしたところで、伸ばした指は拒絶に遮られてしまうのだろう。
 例えば、とミュルメクスはあえて思考を散らす。手折った花は、そうでない花よりも早く凋れる。幾ら水を換えても、風から守っても、やがては枯れて朽ちてしまう。そういうものだ。無理をして手に入れても、害す結果にしかならないことのほうが多い。
 ミュルメクスは無理矢理距離を縮めようとして、そして二人の間にあったものは壊れた。だからあの夜も――今も、ランビリスが拒絶するのは仕方のないことなのだ。
 そう意識した瞬間、胸が軋む。――無論、実際に軋んだわけではない。だが軋むと形容するのが相応しいこの痛みは何だ。胸を侵してゆく毒のような、この苦しさは。
 ミュルメクスにはこの感情の正体も、どうすればこの痛みが癒されるのかも解らない。
 こつ、と背後で靴音が聞こえて、胸苦しさは一層強くなった。
 堪えるように俯く。こつ、と着実に移動してゆく足音と、僅かに軋む床。
 三歩目の足音を無意識に耳で追って、――何故かいつまでも訪れない音に、ミュルメクスが怪訝そうに瞬いたときだった。

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2010/06/10
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