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2024/09/23

 背中合わせに置かれた二つのソファ、その対角に腰掛けて、ランビリスは足下の床を見つめる。 
 長椅子の端と端、向こうとこちら側の距離を選んだのは、顔を見られたくなかったのと――そんな距離でもなければ、落ち着いて話が出来そうになかったからだ。まったく、自分から会いに来ておいて意気地のない、と呆れ気味に心中だけで呟く。
「……今、時間いいか?」
 空いているだろう時間を見越してやってきてはいたが、確認のために問いかけると、よほど驚いていたのか常よりも僅かに上擦った肯定が返ってきた。
 しばし落ちる沈黙。
 なんと伝えるべきか考えていたはずの言葉は、実際に交わした短いやり取りのうちに吹き飛んでしまっていた。仕方なくいくつかの言い回しを考えようとして――結局何も思いつかず、ランビリスはただ、思っているままを口にした。
「……今まで、はぐらかしてて悪かった」
 口にすれば、今までふわふわとつかみ所のない靄のように、判然としなかったそれが、はっきりと罪悪感という形をあらわす。
 謝罪の言葉はゆっくりと沈殿して、再びその場に沈黙が満ちる。
 だが、その沈黙は先ほどのものとは少し性質が違っていた。
「……何の話だ?」
 場に僅かに混じった戸惑いの気配。空惚けているのでも、暗に不実を責める皮肉でもなく、ただ純粋に思い当たることがない、という声音。
 それをしっかりと聞き届けて、ああ、とランビリスは無音で嘆息する。足りなかったピースが一つ、ぴたりとはまったような感覚。
 ふとした瞬間に感じていた違和感の正体。
 そういう、ことか。
「……お前からの気持ちに対する答え」
 それが何なのか気付いた後では、どうにも意味のない問答に思えたが、言わなくてはならない。そう解っていても、それを口にするのにはやはり、少しばかり勇気が要った。
「俺は、お前を、好きになってやれない」
 言い切って、無意識に肩に入っていた力を意識して抜く。返答を聞いたミュルメクスが一体どんな表情をしているのか――それはお互い背を向けたこの位置からでは到底解らなかったが、
「そうか」
 悲嘆も憤怒もなく、至極落ち着いた声。
「それでも私はお前が好きだ」
 諦めきれない、というニュアンスは含まれていなかった。こちらの答えなど一顧だにしない、聞きようによっては傲慢とすら取れる告白。不自然なほど静かなそれを流すことも受け容れることも出来ずに、ランビリスは目を伏せる。
「お前が俺に求めてる事って何だ?」
「……何も。そこにいてくれ。それが望みだ」
「俺はお前を愛してなくて、俺は何一つお前に気持ちを返せないのにか?」
 ふと、相手の気配に怪訝そうな色が混じった。
 戸惑い、というよりは疑問に近い気配。
「お前がどう思うかと、私がどう思うかは別の話だろう?」
 疑いもなくそれが当たり前、そう思っているのだとはっきりと解る答え。
 決定打だ、思ってランビリスは目を閉じた。
 相手の気持ちが得られなくても、こちらの気持ちは冷めない。そういうこともあるだろう。けれどミュルメクスのそれは違う。
 彼は、与えた感情への応答を求めていない。
 多分、そういうことなのだろう。好意の応酬を意識しない。一方通行のままで構わない。
 だから彼はあるところではとても寛大だ。そしてひどく傲慢でもある。
 無償の、と形容するには病的な在り方。
――そしておそらく、彼本人はその歪さには気付いていないのだ。

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2010/06/09

 二度目の傷には、痛みなど無いはずだった。
 そんなものを感じる場所は、とっくに麻痺しているのだから。





 いつもならば宿泊客の数人はいるはずのロビーには、今日に限っては珍しく人影が見えなかった。既に探索帰りの冒険者達も宿や拠点へ引き上げてゆく時刻だ。ここアーマンの宿も外から見る者が在れば、ほとんどの部屋に煌煌と明かりが灯っているのが見えるだろう。
 どうやら少し時間を外した、と思いながら、ミュルメクスはソファの端に腰を下ろす。人の話し声でも聞けば少しは気がまぎれるかと思ったのだが、どうやらほとんどの客は自室に引き上げた後らしい。あてが外れはしたが、会話したい気分ではなかったから、居ないなら居ないで構いはしない。
 ふ、と息を吐く。勝手に漏れた溜息は、予想外なほど虚ろに重たく、ロビーの床に沈んでいった。
 部屋にいても特にすることもないので下りてきてはみたが、そうしてみたところで、結局手持ち無沙汰なのは何も変わりはしない。
 武具の手入れには飽きたし、何か趣味事でもやるにしても――例えばありきたりに読書だとか――長旅を越えてきた身はその手の道具を持ち合わせていなかった。かといって路上にいるのは酔漢ばかりのこの時間帯、あてもなく街に繰り出せるほど、自身が街の歩き方に明るくない自覚はある。
――いつもなら、
 ふと脳裏を掠めた思考を、ミュルメクスは形になる前に頭を振って追い払った。この思考は、あまりにも不毛だ。
 解っているのに、考えまいとするのとは別の場所が耳元で囁く。
 あのまま彼の望む『距離』を保っていれば、『いつも通り』で居られたのに――と。
 ミュルメクスはまるでどこかが痛んだように眉を顰める。力を込めた唇が何かを堪えるように僅かに震え、――けれど何一つ言葉は紡がずに、彼は目を伏せた。
 欲しかったのだ。触れたかった。そうして確かめたかった。それ以外の確かめ方なんて知らなかった。
 今だってそうだ。触れたい。触れた肌の温度が、どうしようもなく欲しかった。今すぐにだって会いたい。けれどそれが出来ないのは、
――来ないでくれ。
 網膜に浮かんだのは、痛みを堪えるような、けれど空虚さを滲ませた表情。
 ……そんな顔をさせたかったわけではない。
 目にした瞬間、胸に走った痛みと、そこからまるで毒のようにじわじわと染みてゆく苦い感情の名を、ミュルメクスは知らない。彼がそんな表情をしているのが苦しい。けれど何故こんなに胸が重いのか解らない。
 手の届くところに在れば充分だと思っていた。それ以上のことを求めはじめたからだろうか。
 そこまで考えて、――ふと、齟齬を感じた。
 それ以上のこととは何だ?
 触れたいと願うのは、ただその存在を確かめたいが為に過ぎない。近くに、手元にあるのだと知りたいだけだ。
 一体何が欲しいというのか。
 考えたところで、方々へと散らばった今の思考から答えを導き出せるわけもなく、彼は浅く息を吐いて伏せていた双眸を開いた。
 夜とはいえ、至る所に照明の設えられた室内の明るさに一瞬奪われた視界が戻る。――ふと、ミュルメクスは己のすぐ横にうっすらと影が落ちているのに気付いた。ついで、背中合わせに置かれたもう一つのソファが小さく軋む音。宿の客が戻ってきたのだろうか。或いは自分と同じように下りてきたか、いずれにしても、こんな位置に座ることもないだろうに。――そう思って僅かに視線を上げかけて、それより一拍先んじて声がした。
「よお。……こんばんは」
 ミュルメクスは目を見張る。他の誰より望んでやまない声に、弾かれたように振り返った。

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2010/06/06

 探索帰りの冒険者達でごった返す、羽ばたく蝶亭の一角。
「……殿下と何かあった?」
「……あんたには何かあったことはバレバレだろ?」
 挨拶もそこそこの問いに、もしかしたら偶然なんかじゃなく探されていたのかも知れない、と思いながらランビリスは苦笑した。
 片手を上げてカウンターに注文を出しながら、エフィメラはまあね、と肩を竦める。夕刻の喧噪にも負けない独特の声音の女主人が去っていくのを見送って、エフィメラは足を組み換えた。
「でもこういう時は、あった?って訊いとくのがやっぱスジかなーって。で、えっと、」
 明るい青の瞳で、横目にこちらを伺いながら、
「……もしかして破局」
 妙な言葉の使い方に脱力しそうになった。
「破局ってのは関係できてる前提で使うもんだと思うんだがなー……」
「あっは、細かいことは気にしなぁい」
 ランビリスの指摘をひらひらと手を振って受け流し、でも、とエフィメラは頬杖を突いた。
「何があったか知らないけどさ。普通に仲良かったでしょ、あんた達。オトモダチとして」
 オトモダチとして。何故かその言葉は妙に響いて、胸の内を少し重くした。理由は解っているつもりだ。ランビリスは壊れた関係を惜しんでいる。進みも引きもしないあの状況が心地よかったと感じている――否、感じていたのだ。
「……まあ、言われてみればそうだったかもな」
 ぽつりと落とされた覇気のない一言に、エフィメラは瞬いて、僅かに気遣うような色を滲ませた。
「……お兄さんもしかして落ちてる?」
「落ちてるっつーか……まあいろいろとあってな。いい歳してパンク中なのよ。疲れてんの」
 言いながら少し視線を伏せれば、シャツに隠された己の手首が目にはいった。思わず昨日の感触を思い出しそうになって、振り切るように溜息を吐く。
 実際、許容量を超えているのは確かだった。どう整理を付けて良いのか解らなくて、一日悩んだあげく酒精に頼ろうとしている。
 そんなランビリスの様子をどう取ったのか、エフィメラはふうん、とだけ呟いて視線を前へ向ける。カウンターの中から威勢のいい声と共に差し出されたグラスに、礼を言うのが聞こえた。
「……でもよく続いたよねぇ。あんたらの仲良しこよし」
 まるで揶揄するような言い方だが、これが彼女の常態であるとランビリスは既に知っている。それだけの月日が知り合ってから流れていたが、ランビリスはそうか?と疑問符を付けて応じた。
「あんた等が来てから、まだ半年は経ってないだろ?」
「そりゃねー。でもぶっちゃけあんた、困りまくってたでしょ?そんなので良くあんな微妙な関係続いたよねって。……ま、納得できるところもあったんだけどさ」
「納得?」
 怪訝そうに問い返すと、そう、とエフィメラは頷く。
「あんた等さぁ、相性良かったんだよ」
「…………」
「うーん、いい感じに困惑顔」
「もの凄く不本意だったぞ、今の」
 ミュルメクスが望んでいた距離と、自分が望んでいる距離は違う。そこからして噛み合わないのに、相性がいいなどと言われてもピンと来るはずもないし、決して歓迎できないアプローチを受けていた状態を「相性がいい」と評されているのならそれは見当違いだ。
「だってホントだもん。殿下は好きなものがそこにあればいい、って人だし、あんたは結構放任主義だから、傍で好き勝手させてくれるし?」
「……そうかぁ?あいつがそこまで無欲とは思えないんだが」
「言い方悪かったかなー。殿下はさー、一方通行でも構わないんだよ」
 その言い方がなんだか引っかかって、ランビリスはエフィメラへと視線を向ける。
「どういう……?」
「好きって言って、それにあんたが"はい"も"いいえ"も"好き"も"嫌い"も答えなくても、殿下は怒んないでしょ? そういうこと」

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2010/06/05

 ちょっと濃いめの女性向け描写があるので畳んでおきます。
 時期的には四層くらい。

 これから続く一連のエピソードは、この二人の話を書く上で一番書きたい部分の一つだったりするのですが、問題は私がそれを書ききれるかどうか……
 収拾つかなくなったら、この話はif扱いになるかも知れません。(無責任)
 ifにならんように一区切りついてからまとめて出せよ!というのは仰るとおりなんですが、それをやってるとおそらく早々にこのサイト更新止まるので……なにとぞご勘弁くださいまし……

 「Collapse」(←こっちの時期は五層も終わり付近)と矛盾するように見えますが、多分最後にはちゃんと一本に繋がるは、ず……
 落として上げて、の落としの部分に該当する話です。今の所まだ「上げて」の部分が完成しておりませんので、嫌な予感がする方は回避した方が良いと思われます。

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 薬品で溶かしきれなかった繊維の残る、ざらついた藁半紙。ここへ来る道すがら買い求めたそれの表面に印刷された活写版の文字を追っていると、視線を感じた。
 決して敵意でも害意でもないのに、妙に居心地の悪い気のするそれ。
 何と言うことはない、見られているだけだ――と視線を送っている張本人ならそう言うのだろうが、ランビリスはそこまで慣れも開き直れもしない。生まれたときから使用人に傅かれ、内外の注目を浴びる王族とは違うのだ。
 結局、無言の視線に耐えかねて顔を上げる。だが、いつもはそれでかち合うはずの青い視線が、今日は手元に向いているのに気づき、彼は軽く「それ」を傾けて相手の方へと向けた。
「……読むか?」
 てっきり記事の見出しに興味のあるものでもあったのかと思ったのだが、問われた方のミュルメクスはどうにもピンと来ない表情で瞬く。数瞬の後、答えがあった。
「それは……何だ?」
「何だ、って新聞だけど」
「新聞……」
 音を確かめるように呟く様子を怪訝に思ったものの、すぐにそんな反応の理由に思い当たり、もしかして、と思いながら問うてみる。
「見たこと無いか?」
「見たことはある。……が、読んだことはない。それが新聞?」
「……何か気になるか?」
「国のものとは大きさが違う」
「ああ、向こうとは主流の版が違うからな」
 縦横の大きさが違うから、図書館でもあの辺りの国の文献は背表紙の高さですぐ判ったものだ。そんなことを懐かしく思い出しながら、ランビリスはもう一度藁半紙の束を掲げて見せた。
「読むか?」
 とはいえ未だランビリスも全てを読み終わったわけではないし、回し読みし終わるよりもファーラ達が降りてくるのが先になってしまうだろう。それでも普段は妙に泰然とした態度のミュルメクスが活字を追うのは、少し面白い気がしての申し出だった。
「……読む」
「じゃあ……って何で立つ」
 新聞を差し出しかけたまま見上げるランビリスに、ミュルメクスの方はいかにも当然、という風情で応じる。
「そちらに行くからに決まっている。こちらからでは文字が逆さで見づらい」
「いや、先にお前だけ読めば……」
「それではお前が読む時間が無くなる」
 それはまったく正論なのだが。しかしランビリスとしては特に読みたい記事があったわけでも無し、時間潰しの道具だったのだから、別に探索から帰ってきた後でも構わない――そう主張するより先に、ミュルメクスがテーブルを回り込んでこちら側へとやってくる。
 アーマンの宿のロビーに設えられているのはソファである。椅子ならばまだしも、成人した男同士がソファに並んで仲良く新聞を覗くというのは遠慮したい――と思った思考を読まれたわけでもないだろうが、ミュルメクスはテーブルと、更にランビリスの座るソファをも回り込んで、丁度ランビリスの斜め後ろ辺りで立ち止まった。
 ランビリスの、肩越しに見上げた視界を遮るようにしてミュルメクスが身を乗り出す。ソファが僅かに軋んで、彼がソファに手を着いたのだと解った。ランビリスの背後から半ば覆い被さるように紙面を覗き込んで、ミュルメクスは悪いが、と声を上げる。
「初めからでも構わないか」
「ん、ああ」
 ほとんど耳元で言われた声の、その近さに戸惑いつつも、ランビリスは紙面を戻す。どうせ数ページ分しか読み進めていなかったから、大して煩わしくはない。
 一面に戻り、一度読んだ記事に読むともなく目を落とす。
「――次へ」
 命令し慣れた声に要求されるまま紙面をめくると、肩に触れていた重みが少し増した。鎧を着けていない胸からは、布越しにじわりと体温が伝わってくる。 二人の距離を否応なく意識させるその温度に、ランビリスは困り果てて、視線を紙面上に彷徨わせた。
 ――隣に座らせた方が良かったかも知れない。
 そうすれば、まだ肩が触れあう程度だったかも知れない。視線を上げればすぐ近くに顔があるのだろう今の距離は、……どうにも近すぎる。
「……なぁ、ミュルメクス」
「何だ?」
「その、近すぎないか、この体勢」
「解っている」
 さらりと言われた台詞と共に襟元に鼻先を埋められて、思わず背筋を硬直させる。
 ――故意犯か!
 思わず叫びそうになるのを飲み込んで、ランビリスは開いた右手で容赦なくミュルメクスの頭を押しやった。
 不満そうな声が視界の外から聞こえてきたが、流石に同情の余地はない。
 ……最近、こういった接触がエスカレートしてきている気がするのは、気のせいだろうか。
 気のせいであって欲しいという自分の願望を自覚しつつ、ランビリスは大仰に溜息を吐いた。

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 いよいよ増してきた背中の重みにいい加減文句の一つでも言おうと肩越しに振り返る、その鼻先を思いがけず至近の距離にあった黒髪と、穏やかな吐息とが掠めていって、ランビリスは思わず開きかけていた口を閉じた。
 ……参ったな。
 胸中で呟いて、ランビリスは静かに息を吐く。
 こちらに背中を預けたまま微睡んでいる青年の眠りは深いようで、起きる気配は微塵もない。
 海都へやってきて日の浅い青年やギルドマスターの姫君達とは違い、迷宮に潜るようになる以前から海都で生活していたランビリスや、その相方を務めていたシスターは自宅を持っている。アーマンの宿に宿泊しているわけではない以上、昨日探索に出た青年達の帰りがいつ頃だったのかは知る由もないのだが、おそらくは遅い時刻だったのだろう。
 規則正しい寝息を聞いていると起こすのもしのびない気がして、ランビリスは前へと向き直った――は、良いのだが、相手が寝ていると知った後では、少し離れたところへある工具に手を伸ばすのにも起こさないかどうか背後が気になってしまう。
 開いた工具箱の横に置いておいたドライバーを極力動かないようにして腕だけ伸ばして取り、螺子を締め、戻し、別の作業を挟んでは手を伸ばし――を、三度繰り返した辺りで諦めた。ドライバーを置く代わりに、工具箱の定位置へと放り込んで片付けを始める。
 いつも行っている工程にはいくつか足りなかったが、どうせ昨日のうちに整備はほとんど終わっていたのだ。ただ背後の青年と居るのに手持ち無沙汰になるのが気まずくて、作業をしていたに過ぎない。
 静かな呼吸を聞きながら、ランビリスはもう一度、今度は口に出して、参ったなぁ、と呟いた。
 言うまでもなく、背後の青年のことである。
 航海中や宿に足を運んだときのみならず、こうして自宅までやってきてはすぐ手だの口だのを――作業に、ではなくランビリス自身に――出すくせに、待っていろとか、作業中だと主張すると存外すぐにおとなしくなるので、どうにも追い払えない。
 かといって手が出なければまったく無害かと言ったらそういうわけでもなく、作業の合間や他愛ない会話に混じる、誤解のしようのない恋愛感情の告白や、たまに正気を疑いたくなる支配欲とも独占欲ともつかない台詞は、ランビリスを戸惑わせるには充分すぎた。
 そもそも、誰がいい歳の髭を生やした成人男性が甘く愛を囁かれる日が来るなどと思うだろう。いや、実際の所は囁くなんてかわいげのあるものではなく、正面から宣言されている場合がほとんどなのだが。
 とにかく、普通は誰も思わないだろう。可能性の話ならばともかく、一般的にはあり得ない。しかも相手は女性ですらなく、傲岸不遜な王子様と来ている。
 半年前のランビリスが聞いたら、間違いなく何かの冗談か笑い話の類だと思って笑い飛ばしていた。今だってそうしたいが、残念ながらこれは現実である。何よりも、背中の重みが事実であると物語っている。
 呟いたのが聞こえたわけではないだろうが、背後で青年が僅かに身じろいだ。起きるだろうか、そう思って背後の様子を窺ってみたが、どうやら青年の意識はまた眠りの淵に落ちていったらしく、僅かに浅くなった呼吸はまた最前の規則正しいものへと戻ってゆく。
 ただ、身じろいだ拍子に青年の黒い髪が一房流れてランビリスの肩から落ちており、青みがかった艶のあるそれを、ランビリスは何気なく手に取った。
 男にしては綺麗な髪だな、ぼんやり浮かんだ感想を、思考は当たり前だと肯定する。数ヶ月前までは王宮住まいだった青年である。手入れをされていない方がおかしい。だが、そのうちこの髪も陽に照らされて、潮風に煽られ、或いは魔物の体液を被っては傷んでゆくのだろう。
 それはありふれて当たり前のことだったが、何となく勿体ないような気がした。
 だが、そもそも勿体ないというのならば、この青年は大抵のことが勿体ない。客観的に見れば端正な顔をしているのだ、その気になれば街の女性と――ギルドの面々を考えると、ギルド内恋愛は勘弁してもらいたい――普通の恋愛をすることも出来るはずだ。
 いや、とランビリスはそこまで考えて自身の思考に訂正を入れた。
 恋愛は出来るだろうが、それが上手く行くかは少し疑問だ。例えば青年が誰か女性と両想いになったとして――今のランビリスに対する態度をそのまま女性に向けるとしたら、それは問題だと思う。
 日常的な口説き文句――は、まあ良いだろう。告げる態度が堂々とし過ぎている気がしなくもないが、下手に気障に言われるよりはそういうのが好みだという女性もいるかも知れない。
 だが例えば――今のように、自宅にまで押しかけてくるのはどうだろう。若ければ想い人には毎日会いたいものなのかも知れないが、それにしたって過ぎた好意は重いものだ。
 人と人が上手くやっていくには、ある程度の距離を取る必要がある、とランビリスは思う。その距離を不必要に縮めたり、或いは遠ざかったりして適切な距離の範囲を逸脱すれば、得てして関係は崩壊してしまう。相手に近づきたいと思っても、相手がそれを望まなければ、決して関係は縮まらないのだ。
 この王子様は、どうにもそれがよく解っていない節がある。自分からは幾らでも好意を表現するくせに、相手からの好意には今ひとつ頓着しない。
 誰かそれを教えてやってくれよ、青年が自分に好意を向けているかぎり、そんな女性の登場する可能性は0だとは解っていながら、ランビリスは想像の中の「青年の恋人になってくれるかも知れない女性」に向かって、胸中で呟いた。
 本当ならば、青年のアンバランスさに気付いている自分が一言言ってやればいいのだろうが、好意を寄せられている立場の自分が青年にそんな話をするのは酷な気がして、どうにも躊躇ってしまう。
 青年からの思慕を、受け取って返す気は、ない。
 そのくせ、更生のためとはいえ青年を傷つける役を引き受けたくはないのだ。嫌われたくはない。
 だからその役を誰かがやってくれないかと待っている。――ランビリスは、その程度には偽善者だ。その自覚もある。
 どうしたもんかね。己の台詞が一体何にかかるのか理解しないまま、ぽつりと呟いて、彼は息を吐いた。

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 ちょっと濃いめの女性向け描写があるので、追記に畳んでおきます。

 プリンスは割とまともなこと言っててそれなりにビビリに見えますが、ぶっちゃけこんなに殊勝なのはバリに対してだけ、しかも相当階層進んでからなんだぜ。

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「……その煙草を止めろ」
「あー、これ吸い終わったらな」
「出来れば今すぐに」
「……お前、煙嫌いだったのか?」
「好きではないが、唇の色が悪くなる。止めた方がいい」
「飽きないよなお前……ご忠告どうも。でも滅多に吸うわけじゃねぇし、大目にみろよ。……ちょっとな、煮詰まってんだ」
「その図か? ……本当に設計図なのか、それは」
「多分なー。見た事ねぇ記号だの数値だのがわんさと出てくら」
「解読から組み立てまでどれだけかけるつもりだ……」
「いや、組み立ては多分、深都から貰った部品がありゃどうにかなる。今読んでんのは部品の中身だな。ここが解れば、修理できる」
「…………やっぱり煙草は止めろ」
「今だけだって言、こら危ないだろ」
「そんなに口寂しいなら塞いでやろうか」
「……お前、そういう冗談好きだよなー……」
「冗談ではない」
「…………」
「と、いうのが冗談だ」
「おっ前なぁ!」

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 お前は何か誤解しているようだが、王族とて人目を気にする職なのだ。
 卑屈な王が居てどうする。そんな輩を誰が頂こうと思うだろうか。
 態度に限った話ではない。見た目、特に服装は重要だ。その場に相応しく好まれるようにしなければならない。
 ……とは言うが、何から何まで人の望むようである必要もない。むしろゲテモノが好まれる場合もある。食などはその最たる例だ。
 私の国にはこういう諺がある。服は人が好むものを着、食べるものは好きなものを食え。
 こればかりはその通りだと私も思う。
 まったくだ。好きなものを食うことの何が悪い?

「食えねぇよ!」
「やり方なら知っている」
「お前眼大丈夫か!眼鏡なら貸してやるから良く見ろ!」

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「髭を剃った方がいい」
「なぁんで。自分としちゃ気に入ってるんだけど」
「ない方がより若く美しく見える」
「別に老けて見えて構いませんよ……っと、おいこら触んな、作業中」
「私は、己の好いたものには最も価値ある状態であって欲しいと願う」
「はいはい」
「だからお前にもそうあって欲しい。故国で寵愛すると言えば、そうするために金銀や労力を注いでやる事を指す」
「今のあんたに金が無くてほんと良かったよ。…………そんで?ご寵愛して仕上げたところで、お前のそりゃ見て楽しむしか使い道がないだろ? お国じゃ貴族連中に自慢でもすんのかい」
「そんなのは御免だ、か? ――そういうこともある。だが、美しいものは自分だけのものにしてしまいたいものだ。それを磨き上げる間、磨き上げた後でさえ、他人の目に晒すのは惜しい。優れたものはそれだけ人を惹きつけるからな。……だから帝は女達を後宮へと集め、或いは宝物庫を作り、その門扉を固く閉じているのだ」
「…………」
「そうだな、髭を剃るのは後でもいい。人目に晒したくはないから」
「……お前さ」
「何だ?」
「自分の言ってることに疑問を感じないか?」
「何かおかしいことがあるか?」

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